好物日記

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西條奈加『金春屋ゴメス』を読みました

金春屋ゴメス (新潮文庫)

金春屋ゴメス (新潮文庫)

面白いよ、とお勧めされて読みました。2005年の日本ファンタジーノベル大賞での大賞受賞作。ファンタジーの賞を冠していますが、実質的にはSFだなと思います。しかし巻末の解説で日本ファンタジーノベル大賞の評者を務める小谷真理も書いている通り、アイデアがすごいのです、この小説は。

舞台は「江戸」、ただし括弧つきの「江戸」。主人公である大学生の佐藤辰次郎は、諸事情によりこの括弧つきの「江戸」で暮らすことになる。ただしタイムスリップものではありません。この括弧つきの「江戸」というのは、17世紀から19世紀半ばの日本における江戸ではなく、近未来の日本において江戸を模して人工的に造られた日本の属領である「江戸」なのでした!

 江戸国の前身は、二十一世紀初頭、ある実業家がはじめた老人タウンだった。
 その男は趣味と実益を兼ね、巨費を投じて江戸を再現した町並みをつくりはじめた。そのうち何人かの素封家がこれに賛同し、このあたりから工事は一気に大がかりなものとなる。山を削り海を埋め立て、江戸の海岸線を再現し、川や堀を巡らせ、江戸城も築かれた。ただし房総半島だけは再現のしようがなかったので、『江戸湾』だけはつくられていない。(中略)
 そしてタウン建設開始から足掛け九年後、江戸を創設した実業家は、自ら初代将軍を名乗り、日本からの独立を宣言する。しかし七三が言ったように、専制君主鎖国の二点が各国からの反感をまねき、結局、日本の属領ということで落ち着いた。(P.20)

辰次郎は幼いころに「江戸」の村で暮らしたことがあるが、当時のことはまったく覚えていない。鎖国制度のためにほとんど外からの入国を受け入れない「江戸」へ300倍の競争率を押しのけてなぜか入国できてしまった辰次郎は、長崎奉行馬込播磨守、通称「金春屋ゴメス」のもとに身を寄せることになる。そして子供のころに村で過ごしたときの記憶を何としても思い出せとの厳命を受ける。というのも、「江戸」では致死率100%の恐ろしい病がじわじわと流行しており、幼い時にその病にかかったことのある辰次郎は、その唯一の生き残りだったのだ…
というような話。なるほどそうきたかー!江戸を「再現」させるというのは新鮮だ。
実際スローライフを提唱する団体というのは存在するわけだし、そういう地域を作ってしまう、というのは多少の現実味もある。もちろんリアルに実現するには障害が多すぎるわけではありますが(消防法とかいろいろ。この「江戸」は電気も通っていないという厳格な時代考証ぶりだ)。

しかしそういう舞台をつくることで、俄然話が面白くなっている。江戸と日本を同じ時間軸に持ってくることでいろんな余興が実現可能になるのだ。たとえば辰次郎と同じ船で「江戸」に入国した松吉は時代劇マニアで、リアル時代劇の世界にテンションマックスになっている様子がコミカルな雰囲気を提供している。甚三、木亮、寛治など、辰次郎の同僚にあたる面々は時代劇そのままの振る舞いをするけど、それを目の当たりにする辰次郎は日本人視点なので、その落差も楽しめる。

ストーリーの根幹は「江戸で広まる謎の病の正体と対処法を突き止めろ!」なのですが、正直そこはもう少し、あともう少し丁寧に説明を…という気がします。「江戸」の御府内は「19世紀初頭の江戸」なので、電気もなければ現代医療も受けられない。病気になっても当時の江戸で存在できたであろう技術レベルまでの治療しか受けられない。薬草を駆使して薬を煎じることはできるけど、抗生物質は手に入らない。地球は回り年月は過ぎるのに、過去のとある時代のまま「留まりつづける」ことの不自然さをもう少し丁寧に描いてほしかったです。科学の力を「江戸」に入れることの確執については書かれているけど、もう少し説明がほしかった。最後一応まとめているけど、それでもやっぱりちょっと強引だよなという印象です。

それでも舞台装置の面白さ、キャラクタの魅力は十分にストーリーを盛り上げています。「日本と江戸の行き来」というのはやっぱりいいな、面白いな。どうやら続編もあるらしいので、そこでいまだ謎に包まれた「金春屋ゴメス」の過去(いかにして長崎奉行となったのか)が明かされているのかもしれない。とはいえこのシリーズは、日常系ストーリーで真価を発揮するタイプの世界設定だと思います。あまり話を大きくしない方がいいのかも。うーん、続編、読んでみようかな…