好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

紀平英作・編『アメリカ史(上)』を読みました

アメリカ史  上 (YAMAKAWA SELECTION)

アメリカ史 上 (YAMAKAWA SELECTION)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2019/08/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

ちょっとした機会があって、今度北アメリカ大陸に初めて足を踏み入れることになりました。これまで気にはなっていたものの後回しにしていたアメリカ史に、ついに手を付けるときが来たようだ……ということで、まずは流れを押さえようと思い本書を買ってきました。新書もいろいろ見たのですが、なるべくフラットな立場で全体の流れを網羅している本、というと、これが一番読みやすそうだった。2019年7月刊行という新しい本であることもありがたい。信頼の山川出版社です。この情報量で!1200円!こんなに安くていいのか山川!執筆陣は京都大学を中心とした教授陣です。

上下巻構成のうちの上巻しか読み終わっていないのですが、読んでいるうちにどんどん楽しくなってきちゃったので、ちょっと気持ちを整理するために一旦ここで記事を書いておきます。
上巻はアメリカ史全体を振り返る序章「アメリカとは何か」のあと、第一章「北米イギリス植民地の建設と発展 十六世紀末~一七六三年」に始まり、第六章「爆発的工業化と激動の世紀末 一八七八~九六年」で終わります。それ以降の歴史は下巻に続く。
ちなみに先住民の文化史でもオランダの植民の歴史でもなく、イギリス植民地建設から「アメリカ史」を始めていることについては、第一章冒頭に記載があります。

(前略)しかしこれらの点を考慮しても、今日のアメリカ合衆国の政治的・経済的・社会的諸制度の多くが、十六世紀末ならびに十七世紀初頭のイギリスに支配的であったものに起源をもつことは否定できない。アメリカ社会と文化の基層のかなりの部分は、イギリスからの初期の植民者によって築かれたのである。植民地時代および建国期のアメリカ合衆国の歴史が「アングロアメリカ」を出発点として描かれるのはそのためである。(P.29-30)

しかし初期はオランダが東海岸に手を付けていたのに、結局イギリスに奪われていたんですね…台湾の歴史をやったときもオランダが砦を作っていたのを思い出した。当時のオランダはすごかったんだろうに、手元にほとんど残らず他国に分捕られてるのは何故なんだ。投資したのに回収できてないじゃないか…などと思いオランダ史も気になったのですが、それはまたいずれ。


私はこれまでアメリカの小説を読んだり映画を観たりしていたのに、全体の流れについてはあまりにも何もわからないままでした。今も知識は断片的ですが、上巻を読んだだけでも、かの地の歴史の流れがかなり整理されて、とても満足しています。特に独立戦争南北戦争のあたり、点の知識が線になって嬉しい。まだすべてを把握できたわけではありませんが、なんとなくの流れはつかめた、と思います。自分としては上出来だ。

そんな中で面白くて仕方がなかったのが、アメリカという国が「ゼロから作った国」だということです。実際はよそ様の土地なので全然ゼロではないのですが、建国者たちが「ここに地上の楽園を作るんだ!!」という意識で作り出した国だというのが、私がこれまで触れてきた日本含む他国の歴史と根本的に違うところだったのです。なんというか、SFとの親和性が高い理由がちょっとわかった気がする。船ではるばるやって来て、右も左もわからない未知の土地に足を踏み入れて、何もない土地で全部最初から作っていくとか、まさにテラフォーミングじゃないか。というか、テラフォーミングアメリカ建国的なのか。もう今の時代、空いてる土地なんて地球の外にしかないから、次に新しくアメリカ的に楽園を作りたくなったら宇宙船でほかの惑星に行くしかないものな。

話が逸れました。
とにかくもう、「地上の楽園をゼロから作りだす」というアメリカ的建国の精神がものすごく面白い。古きもの、父なるものであるイギリス(ヨーロッパ)との決別とか、本当に現実の建国史なの!?ってくらいに象徴的だ。
移民を受け入れて国力を増しているくせに先住民や黒人は排斥するのも、「ここは俺たちの楽園」という前提があるからなんだな…。

(前略)しかしそのような権威を感じながらも、移住者はイギリス本国から、あるいはヨーロッパから離脱し、海をこえた人々であった。権威的世界から空間的に離れていく行為に含まれる特異な感性を、もっとも先鋭に意識した集団が、十七世紀前半、ニューイングランドに移住した初期のピューリタンたちであった。ピューリタンにとっての「新世界」は、イギリスにおいて当面受け入れられない彼らの宗教的共同体を、より純粋なかたちで設立する聖地であり、その意味で本国の精神的改革をめざす一方で、古き世界から逃避を試みる場でもあった。大西洋のかなたに強い権威を感じながらも、同時にその権威の拘束から離れ、新生するといった複雑な要素が、アメリカ大陸には持ち込まれていたのである。(P.13)

そして特に興味深いのが、地上の楽園となるべく創られたアメリカが理想に燃えて突き進む一方、版図が拡大していくにつれて結局は自身が逃れてきた元であるヨーロッパ的階級社会に似た状態に移行していったことです。だんだん人口が増えて政治の体裁も整ってくると、指導者たるエリート層が貴族的地位を占めるようになっていく。嫌いだったはずの親父さんに似てきましたね。なんという皮肉。歴史ってすごいな。

でも最初の理想に敗れてしまったからって、また白紙に戻してやり直すには地球は狭すぎるし人口も多すぎるので、漕ぎだした船は進み続けなければならない。楽園への道はまだ見つからないけれど。それはアメリカだけではなく、どんな国でも、生まれたからには進み続けるしか道は無いだろう。
そうなるとこの先ずっと、楽園目指して旅をし続けるしかないんだろうか?永遠に聖地にたどり着けない巡礼者のように、希望と理想だけを胸に抱いて進み続けるしかないのだろうか。足を踏み外さなければ自爆することはないかもしれないけど、なんらかの理由でいつかぱたりと倒れても、そこはきっとまだ聖地ではないだろうに。いやいつかはたどり着けるって期待するしかないのか。

アメリカ史を見ていると、世界のあらゆる文明において観測される「階級」というやつがいかにして生まれるかを、歴史のねじを巻きなおすことで再現してみたような印象を受ける。旧世界からの脱却を目指して華々しく船出をしても、やっぱり結局は古い世界に戻ってしまうものなのだろうか。それって格差社会に言い訳を与えるようで好ましくないな。新しいものもいずれは全て古びていくけど、経年劣化したその末路において等しく腐敗するのであれば、どこかで一度生まれ変わることが必要になるのだろう。
あぁ、だから不死鳥は定期的に火の中に飛び込んで蘇るというプロセスを踏む必要があるんだな。なるほどな。

などとぐだぐだ考えていたけれど、この『アメリカ史』はまだ上巻しか読み終えていないのでした。とりあえず引き続き下巻を読みます。