好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ウィリアム・W・ケリー『虎とバット 阪神タイガースの社会人類学』を読みました

虎とバット 阪神タイガースの社会人類学

虎とバット 阪神タイガースの社会人類学

京都人の父と大阪人の母を持つ私は、物心ついたころからなんとなくずっと阪神ファンでした。
関東育ちだし、甲子園にも行ったことはないし、両親とも虎キチというほどのマニアックなファンではないけれど、今思えば阪神以外の野球中継はテレビで観たこともなかったし、家には阪神のステッカーがさりげなく貼られていた(「やっぱり阪神が好きやねん」というやつ)。
両親は当然のようにアンチ読売だったし、読売新聞の勧誘にはことさら冷たい態度を取っていたので、なんとなく私もアンチ読売になっていた。これも大人になってから気づいたことだけど、敵性国家への嫌悪感というのはこういう風に育てられるんだろうなと思う。公に嫌悪しても許される存在。身体にしみ込んだ反射的な不快感はなかなか抜けない。でもよく考えたら、別に私が読売を嫌う理由はそんなにないのでした。

そういうわけで関西をルーツに持つ私としては、阪神をメインにした社会人類学本と言われたら、買うしかなかった。これは私のアイデンティティに関わる問題なのだ。今年6月に出版されて、買ったはいいもののしばらく積んでいたのですが、先日大阪に行く機会があったので、それを契機に読みました。とても面白かった。
著者はアメリカ生まれの社会人類学者。1996年からの約10年にわたって阪神タイガースの試合を追い、ファンに交じって観戦し、記者席で観察を続けるといった一連のフィールドワークをもとに書かれた本です。彼が観察した期間はちょうど阪神が最下位の常連でいたころから、星野監督に導かれてリーグ優勝を果たし優勝争いができるようになった頃に相当していて、阪神にとってダイナミックな変化を遂げた時期にあたっていたことは幸運な偶然でしょう。
著者の研究姿勢については、巻末に書かれた「リサーチと執筆に関する覚え書き」に詳しく書かれています。社会人類学的調査の基本的な手法にも触れられていて、素人にもありがたいです。

そもそもなぜ題材が阪神タイガースなのか、ということについて冒頭で触れられているのですが、それがまた面白い。

 およそ二〇年前の一九九六年、わたしがこの研究を始めた際に書こうと考えていたのは、こうした本ではなかった。当時のわたしは、近代日本におけるスポーツの社会的、文化的意義を探るには野球を知ることが欠かせないと思い、そして本当の日本野球を知るには、人気も注目度も段違いの読売ジャイアンツと、首都東京から離れることが大切だと考えていた。
(中略)
 一地域で三球団を体系的に比較できる点で、関西は絶好の土地だった。現地入りからの一か月で三球団に挨拶し、練習の視察や試合観戦を始めた。ところがすぐに、わたし以外は誰も三球団を横並びに見ていないことに気づいた。記者や商店主を含めた全員、全スポーツ紙、全テレビ局が、タイガースを絶対的な中心として消費していた。外部の人間には、三球団は三つのスタジアムで、本質的には同じスポーツをプレイしているように見える。では甲子園での試合だけが特別で、タイガースばかりが注目を集めるのはなぜなのか。当初は極めて局所的に思えたこの疑問は、実は考察と分析のしがいのある大きなものだった。その答えを示したのが本書である。(P.18-19)

知っている人からすればそりゃそうだよねって感じなのですが、なぜ「そう」なのかはっきりとは説明できない。実際、本書で「なぜ」が解明されているとは思いません。ただ、どういうふうに違うのかという分析はされています。結局卵が先か鶏が先かというようなもので、違うから特別なのか、特別だから違うのかは相互に影響し合っているので根本を解明しようとするならもっと分厚い本になるでしょう。

ではどんな風に「違う」のか。著者は「スポーツワールド」と「ソープオペラ」という2つの概念を使って説明しています。
とくにソープオペラに似ているという指摘がとても面白い。もともと野球というスポーツそのものがメロドラマ性を内包しているというのもそうなのですが、選手とフロント、そして親会社との確執という、野球というスポーツ以外の「企業的」な部分において多くのドラマを提供しているところが、観客であるマスコミやファンを盛り上げているということ。特に主要なファン層であるサラリーマンたちが、自身の職場での確執や処遇を、親会社ーフロントー選手団に重ねて見ていること。そしてマスコミやファン自身も「阪神タイガース」というひとつの「スポーツワールド」の一員として参加し、盛り上げているのだということ。そういったことが全10章にわたって書かれています。

外からの目によって書かれたことで客観性を保てているし、フィールドワークによって生の声も拾えています。ただ、もちろん、これですべてを語れるわけではない。それでもかなり濃密な一冊だし、ニヤニヤしながら読んでいました。阪神に限らず、日本のプロ野球というのはアメリカのメジャーリーグとは違う立ち位置であり、どちらかというとヨーロッパのサッカーに近いものがあるというのも面白かった。『菊と刀』は読んだけど、やっぱり『菊とバット』も読みたいな…