好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

山尾悠子・中川多理『小鳥たち』を読みました

小鳥たち

小鳥たち

読みました。読んでしまいました。読まない状態を楽しみたい気持ちと、読んだ状態を楽しみたい気持ちに引き裂かれていましたが、我慢できずに読んでしまった。素晴らしかった…

山尾悠子のことは大好きだったのですが、今回新たに中川多理という人形作家のことを知り、気になるアーティストがまた増えました。なんというか至上の組み合わせという感じです。圧倒的な相性の良さを感じる。お互い独特の世界観を持っているのに、相殺されず昇華されてる。最高の化学反応だ。

出版の経緯については本の末尾に書かれているので割愛しますが、幸せな出会いや偶然や相乗効果によって生まれたもののようです。収められているのは3編の短編小説。世界観を同じくする、3つの別のお話。そしてそれを彩る写真の数々。

最初の『小鳥たち(旧仮名)』はタイトルの通り旧仮名遣いで書かれた小品です。書き出しからたまらない。

 小鳥のやうに愕(おどろ)き易く、すぐに動揺する性質(たち)の〈水の城館〉の侍女たち、すなはち華奢な編み上げ靴の少女たちは行儀よく列をなして行動し、庭園名物の驚愕噴水にうかうか踏み込むたび激しく衝突しあふのだった。(P.9)

山尾悠子の作品を読むたびに思うのですが、なんで毎回あんなに魅力的な書き出しなのか…!今回も初っ端からうっとりします。この一文にすべてが詰まっている。驚きやすい侍女たち、小鳥のような侍女たち、編み上げ靴の侍女たち。常に複数で行動し、さえずり合う侍女たち。

小鳥たちと呼ばれる少女たちは実際に小鳥の姿と化す折があり、その場に応じて正しく形態を使ひ分けるやう厳しく躾けられてゐるのだつた。(P.10)

冒頭の『小鳥たち(旧仮名)』はたった6ページの小品であるにも関わらず、鮮烈に『小鳥たち』の世界を表している。この世界の密度の濃さが、山尾悠子だ。たまらない。

そしてそこに差し込まれるのが中川多理の人形の写真です。
正直これまで人形というものにはほとんど興味がなくて、せいぜい文楽人形の頭の区別をつけるくらいだったのですが、この本に載っている人形の写真のあまりの「人形ぽさ」には目を奪われました。変な言い方ですけど、まるで人形なんです。いや人形なんですけど、すごく「人形」なんですよ。人に似せて作られた、人ではないもの。そのアンバランスな生命感が、小鳥になったり少女になったりする〈水の城館〉の侍女たちのイメージにすごく合っている。広い額、シャドウの深い目蓋、どこか不健康な顔色とフリルたっぷりのドレスと、アイデンティティの一角を成す編み上げ靴。
こどもが遊ぶお人形さんではなく、ひそやかにクローゼットの中の小さな家に棲む妖精という感じ。命はなくとも魂はあろう。実物を、観てみたいなぁ。かつてギャラリーで展示されていたらしいんですけど、観たかったなぁ。小鳥の侍女のけしからぬ跳ね足を拝みたい。

そして再びの山尾悠子パート。『小鳥たち、その春の廃園の』と題された作品は、小品の詰め合わせです。こういうお菓子あるよなぁ、と思いながら読んでいました。アミューズのような雰囲気(二作目だけれど)。これはこれでまたちょっと毛色の変わった雰囲気、でも同じ色調ではある。不思議な統一感。
リニアモーターカー、監視ドローン、電子メールなど銀色に光りそうな言葉が突然ぽんぽん出てくるので何事かと思った。これまでゴシック様式のような城館の箱庭の話が続いていたのですっかり油断していたのです。それなのになぜかしっくりくるのも不思議だ。

再び中川多理のターンが来て、墜落する小鳥やひとりひとり個性のある侍女の人形が載せられています。美しい…
せっかくだからお気に入りの子を選ぼうかと思ったんですけど、決められませんでした。どの子もみんな魅力的。

最後の山尾悠子パートである『小鳥の葬送』は老大公妃と小鳥の話。
老大公妃の人形も巻末に乗せられていて、個人的にはこれが一番好きです。侍女も可愛いけど、老大公妃の威厳と深みが素晴らしい。眉間の皺が美しい。でも前髪ぱっつんの黒髪の侍女もかわいらしいな…

表紙の装丁も美しいけど(装画は中川多理)、表紙のカバーを外した装丁もすごくおしゃれです。
ニヤニヤしながら読みました。読み終わった今からは、読後の幸福感を堪能しよう。