好物日記

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麻耶雄嵩『神様ゲーム』を読みました

神様ゲーム (講談社文庫)

神様ゲーム (講談社文庫)

ビブリオバトルで紹介されていて、面白そうだったので読みました。ミステリにはまっていた中高生の頃に『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』を読んだなぁと懐かしくなったというのも手に取った理由のひとつ。

私はこの本を講談社文庫で読みましたが、元は「講談社ミステリーランド」という子供向けのスタンスをとった新しいミステリレーベルで刊行された作品だそうです。そういえばそんなレーベルができたというのを聞いた覚えはあるのですが、そのころはミステリ熱がだいぶおさまっていたので、中身を追いかけることまではしませんでした。なので今までこの小説を読んだことはなかったし、タイトルも知らなかった。
しかしね、作者が麻耶雄嵩ですよ。子供向けレーベルでの書き下ろし作品とはいえ、一筋縄ではいかない話に決まっているでしょう!

主人公は10歳の少年、芳雄。芳雄の住む神降町には連続猫殺し事件が発生しており、同じクラスのミチルちゃんが可愛がっていた猫もその被害に遭っていた。芳雄が所属する「探偵団」の面々は猫殺しの犯人捜しに燃え上がるが、そんな中芳雄はひょんなことから同じクラスにやってきた謎の転校生・鈴木君と話をするようになる。鈴木君は自らを「神様」と名乗り、猫殺しの犯人の名前を芳雄に告げる。そして事件が起きる…
というような話です。

転校生、探偵団、クラスの可愛い女の子など、児童小説の鉄板ともいえるキーワードをちりばめておきながら、これがびっくりするほど後味の悪い小説なんですよ。やるなぁ麻耶雄嵩、子供相手でも手加減容赦無しだな。

ジャンルとしては一応ミステリだし、猫以外の被害者も登場します。しかし推理からの最終的な解決篇の不完全さが、これはミステリなのか?というモヤモヤ感を生み出している。ぶっちゃけると、証明可能な形で犯人が名言されないのです。それはミステリなのか?
しかしストーリーとしては十分面白く、それがなんだかむしろ悔しい。ミステリかどうかなんてのは実際に作品を楽しむのに必ずしも必要なものではないので、別に気にしなくて良いのかもしれない。そもそも麻耶雄嵩と同年代のミステリ作家たちは、既存の本格推理小説の型を乗り越えようと、実験的なミステリを多数生み出している人たちでした。こんなのあり?というようなぎりぎりを狙ってくるのは彼らの作家としてのアイデンティティにもかかわるものなのかもなぁ。しかし気になってしまうのも人情でしょう。期待していたものを得られなかったフラストレーションかもしれないけれど。

やっぱり気になるのでもう少し詳しく話したい。
一応ミステリなので、以下は隠します。犯人の名前は言いませんが、ストーリー展開に触れているのでご注意ください。


この小説の最大の問題は「天罰」システムです。
芳雄にだけはこっそりといろいろ教えてくれる自称「神様」が、犯人に対して行うのが「天罰」というもの。弁明も懺悔もなされず、劇的な死だけが待っているこの小説独特のシステムが、ミステリ要素を極端に薄めている。

芳雄は「犯人が誰か」というミステリ最大の問題について神様から聞いた答えに納得していますが、それは彼が「神様の言葉と天罰」を受け入れているからです。そもそも転校生が本当に神様で、世の中のことをすべて知っているのかというと、それは実際には「わからない」としか言えない。起きた事故が天罰によるものかどうかは神様の言葉からしか判断できないし、当の神様が嘘をついている可能性もある。全然フェアじゃない。フェアじゃないというのは、ミステリにとって致命的なことです。
おそらくこの小説は、ミステリの解決篇の一部をばっさり切った構成になっているのでしょう。謎があり、ひとつの推理の提示がある。犯人はおまえだ!とびしっと指さす場面は用意されているけれど、追い詰められた犯人が罪を認める場面はない。答え合わせができない。

しかし現実世界で、答え合わせが可能な場面というのはいったいどれくらいあるでしょうか。答えはこれだ、だってこれだけ状況証拠があるんだから!というところで結論を出して、それ以上は考えないことがほとんどではないか。解決篇のないミステリで、まぎれもない真実を得たと思いこんだ芳雄と同じように。

麻耶雄嵩が新しいミステリレーベルに収める作品として、こういう形の小説を出してきたというのはとても面白いですね。挑戦的だなぁ。

ちなみにこの小説は「神様シリーズ」の第一作に位置付けられているもので、シリーズには続きがあるらしいんですよね。それを読んでみないとちょっと何とも言えないのかもしれない。うーん、これだけでは終われないな。続きを読んでからあらためて考えたいと思います。