好物日記

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山口果林『安部公房とわたし』を読みました

安部公房とわたし

安部公房とわたし

読書会で安部公房の『砂の女』を取りあげるにあたっての資料として読んだのですが、『砂の女』より後の安部公房しか語られていないので、直接は関係ありませんでした…。でも読んでよかった。
安部公房が立ち上げた劇団の看板女優であった山口果林が、噂になりつつもずっと否定していた安部公房との関係を語った、いわゆる暴露本です。出版社は講談社。まぁ新潮社からは、出せないよな。
安部公房の没後20年を機に、自分史という形で書いたと書かれている通り、山口果林の幼少期も含めた内容になっています。安部公房論とはまた違う、時代の証言の一つですが、安部公房について知るための貴重な情報だと思います。書いてくれてよかったと思う。

彼女が安部公房と出会ったのは桐朋学園大学演劇科で安部公房のゼミに入ってからなので、それ以降の安部公房のみが語られています。そして彼女は基本的に舞台女優なので、舞台関係者としての安部公房がフォーカスされている。それでもプライベートな趣味の話などもいろいろ書かれていて、素顔の安部公房像がイメージできました。

特に晩年の安部公房のエピソードがいろいろと語られているのが印象的です。亡くなる数日前に山口果林の家に来た時の安部公房の様子。癌であることを絶対に知られたくないと言って、ピルケースもおしゃれなものをと探し回ったこと。夫人と別居していた晩年、新潮社の新田敞が離婚に反対していると語っていたこと。

ただ、不満な点もあります。それは、この本に載っている山口果林の写真がすべて若いときのものばかりであるということ。気になってググったのですが、山口果林、今(2019年)もまだお綺麗なんですよね。なぜ今の写真をどこにも載せないのか…。

私はこの本を読む前に、安部公房の娘ねりによる『安部公房伝』を読んでいるのですが、そこには当然のことながら、山口果林はまったく出てきません。『安部公房伝』が出たのは2011年で、この本が出る前だったので、公式にはただの師弟だったということになっているからです。
しかしなぁ、20年も付き合っていて、まったく黙殺され続けるというのはやっぱり相当つらいものがあるだろうなと思います。
倫理やモラルの問題は他人がとやかくいうことではなく、求められてもいないのにやいのやいのと訳知り顔で意見を述べるのはただ語る側の自己満足だと思うので、そこについては何も言いません。そこではなくて、山口果林が自身の過去を整理するためには、やっぱり彼女自身の手で書いたり語ったりする必要があったと思うのです。後の時代に掘り起こされていろいろ邪推されるよりは、いっそ自分の手で書いておいた方が間違いがなくて良いとも思う。山口果林が自身の手でこういう手記を書けたということは、彼女にとっても後世の研究者にとっても良いことではないだろうか。


などと言いながら、「暴露本」「ノンフィクション」というジャンルの本に対してどうしても拭えない私自身の違和感について白状します。事実を明らかにすることが著者にとっての一種の脱皮になるのだとしても、実際に目の前に差し出された暴露本やノンフィクションについてどういう態度を取るべきなのかを、私はいまだに決めかねている。

安部公房のように、その人の人生が研究対象となりうる場合、なんでもかんでも暴露しろと要求することは当然できないのだけれど、それでもやっぱり、何かわかる形で残してほしいなと思ってしまう。しかし残してほしいという思いは、どんな理屈をつけたって、こちらの一方的なわがままでしかないとも思う。
研究という免罪符ですべてが許されるとは思わない。けれど欲しい情報はある。結局当事者に判断してもらうしかないのは、その通りなのだけれど。
私がこういう本を読んで得ている満足感は、野次馬的な興味を満たすことと根本的には変わらないはずだ。ワイドショーをみることと、ノンフィクションを読むことに、いったいどんな違いがあるのか?研究を生業にしているわけでもないのに、作者の素顔を知ることにいったいどれだけの正当性があるというのか。語ってくれてよかった、書いてくれてよかったというのは、ただ好奇心を満たせたというだけの話ではないのか。書くことは彼女自身にとってもよかったなどというのは、おためごかしではないのか。結局他人の人生を肴にして酒を飲んでいるようなものではないのか。他人の人生を娯楽に堕しているのは私ではないのか。
暴露本やノンフィクションというジャンルの本を読むと、どうしてもそういうことをつらつら考えてしまう。少なくとも、好奇心を探究心と偽って人の敷地を踏み荒らすようなことはしないようにしたいとは思っています。