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山口優『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』を読みました

シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ) (徳間文庫)

シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ) (徳間文庫)

2019年7月、初めて日本SF大会に遊びに行きました。
分科会と呼ばれる企画イベントが複数フロアの会議室で開催されていて、トークセッションをしたり研究発表をしたりと内容も幅広く盛りだくさんで、めちゃくちゃ面白かったです!ありがとうございました!
そしてそんな企画のひとつに、「SFと人工知能の過去・現在・未来:フィクションとリアルの交歓」というトークセッションがありました。AIという言葉はみんなどんな定義で使っているのか?今後AIはどのように発展していくだろうか?そもそも知性とはどのようにして測るのか?などなど、非常に面白いテーマでのセッションで、そこに登壇していたひとりが本書の著者である山口優です。
話している内容が非常に面白かったので読んでみることにしたのですが、何故もっと早く読まなかったのか反省するくらい面白い作品でした。
ちなみに表紙がラノベっぽいので勘違いしていたのですが、挿絵が全然無いのでラノベではないですね。かなりハード寄りの骨太なSFでした。

時代は2048年。人類は「夜空が紫になる」という謎の現象によって滅亡の危機を迎えていた。主人公は危機感と焦燥感から多発するようになったテロで片腕を失ったイスラエル人の女性。軍に入った彼女は、異常現象へ解を導き出すためのAIの機動テストをするための宇宙基地の指揮官を務める。しかしいざテストを行おうというそのとき、絶世の美少女が基地に乗り込み、あっさりとAIを制圧して去っていく。その少女は既存のAIとは異なるアプローチによって思考するようプログラムされた、新型のAIだった…
というのが物語冒頭のあらすじです。

近未来を舞台にするときには現代のテクノロジーをどれだけ反映するかの匙加減が難しいと思うのですが、2010年に刊行された本書では「今は無理だけどこういう制限を突破できれば可能になる」という設定がすごくしっかりしていて、これぞSFって感じ。たとえば高度な演算機能を持つコンピュータを少女の頭部に格納しようとすると、どうやってそんなに小さくするのか?という物理的な問題が立ちはだかります。しかし本書では、量子コンピュータの可能性を最大限に活用して乗り越えていました。量子コンピュータ!ロマンだ…!
コンピュータは昔に比べればずいぶんと小型化したけれど、頭の中に収めるにはまだ大きすぎるんですよね…。今後の研究が楽しみだ。

そしてSFの面白さはテクノロジーだけではありません。テクノロジーの変化による人間社会への影響という視点も楽しみのひとつです。そしてこの本ではそれが、シンギュラリティをテーマにじっくりしっかり描かれているのです。たまらない。
AIに仕事を奪われる!などの論調で広く認識されるようになった「シンギュラリティ」という単語について、山口優は作中で丁寧に説明しています。ちょっと長いけど一部を引用。

メサイアは、人類史上最高の演算速度を誇ると同時に、『E.M.P.E』、即ち『エピソード記憶順列化エミュレータ』という名称を持つ疑似的な自我を持ち、自らの行動を自ら決定する。人間の命令をただ待っている必要がない。更に、自らの論理速度をより速くし、論理構造を最適化するための系統設計まで行って、自分で自分を改善し、進化させる。加速度的に。彼は今まで人間が手がけていた様々な研究開発も、その卓越した頭脳で担うようになるだろう。
このとき、技術の発展が人類の手から離れ、人類より遥かに優れた知性に委ねられていくことになる。これが起こるとすれば人類史上最も重要な出来事となることは間違いなく、『技術的特異点』と呼ばれている。その点の先の未来でどんな技術が出現するのか、そしてどれほどの速さで技術が加速するのか、その点以前の人類には全く予測できないとされることから『特異点』と名付けられている。(P.35)

メサイアというのは少女型AIに制圧された側のAIの名前です。人類は人智を越えたAIに未来を託す「エデン派」と、AIに頼らず自力で解決策を見つけ出そうとする「ノア派」に分かれているという作中の設定も面白い。人智を越えた存在として、古くは神々や人外、SFではもっぱら高度な文明を持つエイリアンなどがその役を演じていたわけですが、そこにAIという可能性が一定のリアリティを伴って加わったわけですね。果たすべき役柄としてはそんなに違いはないはずなのに、元来道具であったはずのものが自分よりも明らかに高度なものとして君臨するというだけでだいぶ話が変わってくる不思議。そして、だからこそ面白い。

他にも技術情報を証券のような動産として扱える「収穫経済」や、脳だけの存在で生きていると言えるのか問題など、盛り沢山のテーマが詰まっていてとても楽しいです。古典的なネタも詰め込みながら、それをリアルな現代とリンクさせて、フィクション世界に落とし込んでいく手腕が見事です。これでデビュー作とは…!
エンターテインメント性と技術に裏打ちされた世界観がすごい。あんまり書くとネタバレになるので書かないですけど、メサイアを制した少女型AIの設計に関する設定もすごくそれっぽくて説得力があります。
夢とロマンに満ちた良いSF作品でした。他の作品もぜひ読まなくては。