好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

渡辺三枝子・平田史昭『メンタリング入門』を読みました

メンタリング入門 (日経文庫)

メンタリング入門 (日経文庫)

仕事の参考にと思って図書館で借りて読みました。
メンター制度についてはある程度わかっているつもりだし、理解していた内容と書かれている内容に大きな差異はありませんでしたが、認識しなおすためにも読んでよかったです。自分でわかっているつもりでいるだけだと齟齬があるかどうか確認することすらできないので、答えあわせは大切だと思う。

2006年に出版された本なので結構古くはあるのですが、やり方に多少に違いは出ているにしても本質は変わっていない(変わってたらむしろ問題)ので大丈夫。メンタリングの起源や日本で取り入れられるようになった背景、具体的にどのような問題が考えられるかという、実務寄りの内容になっています。メンターの語源がギリシャ神話の登場人物テレマコスの教育係であるメントルからきているというのは知りませんでした。こういう単語はだいたいギリシャ神話由来ですね。

あらためて認識できてよかったのは、メンター制度というのはあくまでも会社がおぜん立てするビジネス関係であるということです。社員同士の仲が良いというのは大事なことではあると思うけど、基盤となっている企業というものは営利組織であって評価する/されるの上下関係から切り離せない団体であるということは忘れちゃいけないことだと思います。本当に純粋な友人になれることもありますが、全部が全部そうではないし。なのでメンター制度も、別に相方と友達にならなくてもいいし、定められた期間が終わったら制度としては解散するというのは大事なことだと思う。

そういう意味で、本書にも書かれている「昔の先輩とどこが違うのか」という観点は興味深いですね。本書では昔の「先輩/後輩」は職場の人間の好意に依存した私的メンタリングであるとして、会社が明示的にペアを組ませる業務の一環としての公的メンタリングとは区別しているのですが、うーん、ここはすごくグレーなところですよね。「あいつの教育、任せたよ!」と業務の一環として任されることはこれまでもあったわけで、任された先輩はその人のやり方で後輩の面倒を見ていたのですが、その面倒を見るのレベルが個人によって異なっていたのです。精神的なフォローまで踏み込む人もいれば業務の回し方だけ教える人もいた。しかしどこまで踏み込んでほしいかも人によって異なるから、これは結局答えのない問題にならざるをえない。メンター制度を採り入れればこれまでの不公平さのようなものが解決するかというとそうでもないし。

職場での「面倒見の良さ」問題は、突き詰めれば対人関係と利害関係を両立させうるかという問題に絡んでいくと思うのですが、どうあがいても内面の問題だから可視化しにくいしどこまで本当のことを喋ってくれているのかを判断するのが事実上無理な話でもある。そうなると全部放り出して「自分でなんとかしろ」になってしまうこともあると思うのですが、それでも努力することを放棄するのはどーよ、と思うので、必要ない人にはさっさと終わらせて、必要としている人は注視して、というのが理想だと思います。しかしそういう場合においても「必要な人かどうか」の判断をさてどこでするのか、という問題は付きまとうわけで、うーん…。制度にするときには基準が必要なのですが、客観的に判断できる基準をつくることも難しい。すべてを制度化するのはやっぱり無理な話だし、ある程度融通を効かせたいけど、なぁなぁになりすぎると問題だ。でも制度でガチガチに固めるよりは状況に応じて柔軟に対応することをベースにした方が動きやすいんですよね。それは好意に依存することになってしまうんだけれど。

答えが出る問題ではないので、考え続けなければならないことだなと思います。
基本的なポイントをしっかり押さえてあり、読みやすくまとまった良い新書でした。