好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

東京国立近代美術館「MOMATコレクション(2019.01.29-2019.05.26 所蔵作品展)」に行ってきました

www.momat.go.jp


下関市立美術館で出会った松林桂月の「春宵花影」が、東京国立近代美術館のコレクション展に出品されていることを知り、いそいそと出かけてきました。
国立近代美術館は姉妹館として工芸館というのがあり、基本的に工芸はそちらで展示されています。しかし今回は工芸品も含めて展示されており、おかげで私の好きな初代宮川香山の花瓶も観られて嬉しかったです。日本画から洋画、写真、彫刻、映像など盛り沢山でした。閉館時間が迫っていてすべてをゆっくり観ることができなかったのが残念。

とはいえ来館の第一目的である松林桂月の「春宵花影」はしっかり観てきました。
しかしですね、松林桂月の「春宵花影」を観た時の感動がそうでもなかったのです。相変わらず美しいし繊細で幻想的だったんですが、下関で観た時のほうが綺麗だった気がして。そもそも桜の後ろに見える月、もっと大きくなかったっけ?単純にファーストインパクトが強すぎたから二回目はそうでもないだけか?期待しすぎた?「また会えたね…!」的な感動を期待していたのですが、「相変わらずお綺麗ですね」くらいの感動しか得られず、初めて見た時のときめきが自分の中に湧きあがらず、そのことに非常に戸惑いました。

そこで気になっていろいろ調べていたら、どうやらやっぱり構図が微妙に違うようなんですよね。
私が観た下関の「春宵花影」は1944年版。こちらは月が桜の真後ろに配置されています。

参考画像リンク:「特別展示」部分)
所蔵品展「特集:端・橋・はし―Edge, Bridge, Hashi」|下関市立美術館

しかし今回観たのは1939年版「春宵花影図」。月は桜の左上に配置されています。

参考画像リンク:
独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索

ぜひ比べてみてほしい。違いますよね、全然違いますよ。まるで違います!
そして私は、1944年版「春宵花影」のほうが美しいと断言します。これはもう、譲れません。あのとき私の心を鷲掴みにしたのは1944年版なのです。
右下に余白を作ることで画賛が見やすくなっていますし、月光をバックにした桜の花の妖艶さがよく出ています。ああ、1944年版の拡大版がないのが非常に惜しいのですが、あの光に透かされた花びらの美しさをぜひもっと広く知ってほしい…。思わず息をのむほど儚くて、滲んだようなグラデーションが繊細な美しさを引き出しているあの1944年版「春宵花影」よ!

何をここまで力説するかというと、「松林桂月 春宵花影」で検索して出てくるのが軒並み1939年版であることが悔しくてならないのです。
いいでしょう、それも美しい。万博に出品されて先に人々の感嘆を得たのも1939年版でしょう。
しかし松林桂月の代表作として、本当に1939年の「春宵花影図」を紹介するだけで良いのでしょうか?1944年の「春宵花影」が存在することに言及しなくて良いのでしょうか?だってこんなにも美しいのに!

もっとも美しさというのは好みの問題であることは承知しています。しかし「松林桂月の春宵花影を展示」と銘打ったとき、1939年版のみを展示する場合がほとんどなのだとしたら、それはゆゆしき事態ではないでしょうか。山口県立美術館で没後50年記念展をしたときですら、出品されたのは国立近代美術館所蔵の1939年版なのです。下関市にもあるのに!

もしかして美術品として価値が高いのはあくまで1939年版のみなのだろうか?類似の構図で同じような絵を描いただけだと思われているのだろうか?そもそも存在がマイナーなのか?
本当に、なんで1939年版ばかりが有名で、1944年版がこんなに情報が少ないのか不思議でならないのですよ。だってあんなに美しいのに(何度でも言う)。

もう一度「春宵花影」に会いたければ、また下関まで行くしかなさそうです。
でも展示される機会がまたあるなら、またはるばる訪ねる価値はある、と思ってしまうくらい好きです。またお目にかかりたい…