好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

小川一水『天冥の標X PART3 青葉よ、豊かなれ』を読みました

読み終わってしまった…
2009年から約10年かけて続いた全10巻、計17冊のスペースオペラの完結編が先日刊行され、ついに読み終わってしまいました。嬉しくもあり、寂しくもあり。文庫背表紙のあらすじに編集者の愛を感じる。帯もいい。表紙イラストはずっと富安健一郎さんですが、実に美しい。本当はもうちょっと前に読み終わっていたんですが、少しクールダウンするのを待っていました。

どんな話かをざっくりというと「人類が致死率の高いウイルス性感染症と戦う話」なんですが、それだけではなくパンデミック、差別、多様性、恋愛、異星人交流、国家、戦闘、など着目点を少しずらすだけで違う表現であらすじが語れると思います。群像劇だし時代が行ったり来たりするので登場人物の把握が結構大変なんですが、途中から巻末に用語集、人物表、用語集が付くようになったので大丈夫です(多分)。逆に言えばそれが必要なくらいの話ってことでもあるんですけど。でもこれだけの時代を書く必要があったのです。必要な長さだ。

天冥の標シリーズは非常に挑戦的なSF作品で、読む人を試しているように思います。ついてこれるか?ここまでこれるか?まだいける?みたいな。単純に物語に乗り込んで楽しむだけではなくて、思わず我が身を振り返って考えてしまう。この角度から見るとこの事象はこういう風に見えるわけで、それって結構格好悪いけど、お前は同じことをしていないか?批判するのは簡単ではあるけれど、実際に自分がそういう立場になった場合にどんなふうに振る舞えるのか?やらなければいけないことと、やりたくないことと、やりたいことのせめぎあいの中で何を優先させるのか?お前はそれでよいのか?もっとよくはならないか?小説なんて所詮文字の羅列に過ぎないのに、たまにこうやってひたすら問いかけてくる作品があって、天冥の標シリーズはそれでした。

ヒトとは何かを語るにはヒトではないものと比較検討するのが分かりやすくて、それを実現させやすい文学ジャンルはSFだと常々主張しています。SFは哲学との親和性が高い。

小川一水はこのシリーズで多様性についていろんなバリエーションで書いてきたわけですが、シリーズが生まれてからの10年間にも時代は進んでいるわけで、だんだん良くなっているのではないかな、と期待しています。たぶん500年前よりは今のほうが良くなっていると信じたいし、500年後のほうが今より良いだろうと信じたい。(良い、というのはいろんな見方がありますが、例えば戦争において生きたまま皮を剥ぐ系のむやみに残虐な行為をしないとか、職業選択の自由が認められているとか。それを良いというのか、という議論もありますけど、私は良いと思ってるのでそこは置いておく。)それでも500年後にだってきっと戦争も差別はあるだろうけど、それでも世界は美しいよね、というのが小川一水の主張だと思います。箱庭や宮殿の中で自分たちだけが豊かな生活をしているだけでは足りなくて、その外で苦しむ人がいれば助けたいのが人情だ。荒木飛呂彦JOJOシリーズのテーマを「人間賛歌」と言っていますが、小川一水版人間賛歌がこの天冥の標シリーズなんだろうなと思います。愛に溢れている…

シリーズにはこれまでも人類とコミュニケートする異星人が出てきていましたが、10巻になると百鬼夜行みたいなオンパレードになってとても楽しい。エンルエンラ族が可愛くて好きです。
ラゴスお前ね、とか、アクリラ、君ってやつは…!とかリリー!!とか、これまでの足取りを思い返して感無量になる場面はいろいろありますが、まずは1巻から読み返そう、そうしよう。しかし1巻は衝撃だったなぁ、懐かしいなぁ。