好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

岡潔『春風夏雨』を読みました

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)

父親の蔵書整理で貰ってきたお古を読みました。実際に読んだのは角川ソフィア文庫ではなく、古い角川文庫版です。「はしがき」が1965年なので、時代の違いのせいでしょう、心の中でいろいろ反論しながら読んでいました。
何度も繰り返されるテーマは著者が伝えたいこと、というのは読解の基礎ですが、かなり何度も繰り返し言われるのでちょっと飽きてきます。それさっきも聞いたよ、と思ってしまう。「敗戦後、世の中は手のひらを返したように物質主義に侵され、古き良き日本の良さがどんどん失われている。このままでは日本は滅びてしまう。無明を抑止して真我を大切にしなさい」というのが本書の要旨だと思うし、仰ることはわかるのですが、素直に頷けないのです。

著者は1901年生まれの数学者なので、本を書いたのはたぶん60過ぎくらいでしょう。ちょくちょく引用される仏教の言葉の多くは道元の『正法眼蔵』なので、曹洞宗門徒のようです。
小我とは、真我とは、無明とは、と仏教用語を解説しながら人としての理想の姿を説いているのですが、なんでいまいち素直に頷けないのか考えると、なんだか彼の愛国心って国粋主義っぽい雰囲気を纏っているんですよね。このままでは日本はだめになる、という危機意識がそうさせるんだと思うのですが、日本というものを一つのイメージで捕えすぎていて、グローバルじゃないのです。時代背景もあるのだろうとは思いますがが、それにしても多様性が感じられない。そりゃあ日本古来の良さというのは確かに存在していて、敗戦によって世の中の価値観が一変したことで失われたものも多々あるとは思うのですが、そうはいってもね先生、と言いたくなる。あなたのいう日本って、何を指しているんですか。日本人って、誰のことですか。
冒頭で「生命とはメロディーだ」と言って日本語を母語としないドイツ人の俳句を「わかってないなぁ」と評しているのですが、そりゃそうでしょうよ。五七五は日本のリズムです。しかしドイツにはゲーテがいるじゃないですか。バッハのマタイ受難曲をご存知ありませんか。あれはまさしく情ですよ。
私はナショナリスト(愛国者)も、愛国心も郷土愛も善いものだと思っていますけど、国粋主義全体主義はいただけないです。そもそも私は国家というシステムに疑念があるので愛国者ではないんですが、それでなくても「日本人らしさ」を強要されるのはごめんです。統計上の傾向は対象グループを理解する助けになりますけど、定規は複数あるはずだ。

悪い人じゃないんだろうなとは思います。本当に、本気で、日本の未来のためを想って言っているんだろうなとは思います。ただ、21世紀はそういう時代じゃないんだ。日本という言葉で表現される範囲がかなり広がっているんですよ。少なくとも私はそういう国であってほしいと思っている。
繰り返しますが、仰りたいことはわかる。自分が自分が、という人ばかりでは世の中成り立たないでしょう。だから人を先にする謙虚さは絶対に必要です。
ただ、できれば、それをもっと違う表現の文章で読みたかった、と思う。日本人よ、というのではなく、人類よ、という呼びかけであっても成立する訓戒であってほしかった。

古い本をそのまま復刊するって、難しいんだろうなぁ。