好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

能仲謙次榛見あきる武見倉森揚羽はな菊地和広渡邉清文稲田一声『トランジ 死者と再会する物語』を読みました

2023年5月に開催された「文学フリマ東京36」にて購入したアンソロジー『トランジ 死者と再会する物語』を読みました。やべぇの読んでしまった、と慄いている。これだから文フリは……!

同人誌なのでISBNはなく、2023/6/17現在では通販もしていないようです。参考に文学フリマのサークルページのリンクを貼っておきますね。

c.bunfree.net

ゲンロン大森望SF創作講座の出身者6名が一作ずつ寄稿したSFアンソロジーなのですが、同じ世界観を共有して作品を書くというシェアワールド方式にしているのが非常に効いていました。めちゃくちゃ面白い。
世界観のキーワードとなるのは<共同墓地>と呼ばれる、生前のスキャンを基にした死者の疑似人格との会話サービス。そして医学の発達による長寿化、果ては不死化社会を実現した「メガシティ」とそれを拒む「荒野」の存在です。

シェアワールドにすることで、ひとつの物語の流れをいろんな切り口で楽しむことができる。そのおかげで、単純に「長寿化」「疑似人格AI」というテーマだけを共有するよりも深く突っ込んだストーリーになっています。最高。濃度の濃い6作で大満足だったけど、このシェアワールド作品でもっと読みたいなぁ。すごく好きなテーマだから。

巻末に世界観年表と主な出来事の紹介があるのですが、前情報なしで最初から順に読んでいくのがおすすめ。
下記、各作品の感想を載せておきます。ネタバレはしていませんが、ストーリーには触れますので未読の方はご注意ください。


■能仲謙次「真のチャールズ」
<共同墓地>サービスが始まったばかりの世界で、初めてのスキャンを受ける二人のアメリカ軍人の話。

アンソロジーの冒頭にふさわしい世界観の導入になっているのですが、<共同墓地>というツールを使ったSFワールドを語るなら、やっぱりこの話題は外せないよなと思う。つまり、「真の自分とはなにか」ということだ。それに加えてこの小説では「死者を忘れること」にも話を広げているのがよい。

「おまえは『いまの俺を残せ』と言うのか? 壊れてしまったいまの俺を?」
「壊れているなんて、もう言うな。傷病兵用のセラピーには通っているんだろう? それなら徐々に回復している筈だ」
「回復はしない。したいとも思わない。俺は壊れてしまったが、回復するくらいなら壊れたままで良いと思っている」(P.33)

人に見せたい自分と等身大の自分がいて、まぁ不完全だけどこの程度でなんとか、という点で妥協して人付き合いをするものだと、私は思っている。人に見せたい自分と等身大の自分に大きな乖離がある人にとって、<共同墓地>というのは恐ろしいサービスなのでは。まぁ今の自分をベースにするのできっと大丈夫なのだろうけど、それでも自分を裏切って等身大の自分っていうのを開示し始めるリスクがあるわけだ。冗談じゃないな。
辛かったり悲しかったりした記憶を乗り越えるというと聞こえはいいけど、他者の犠牲を踏み台にして自分が前に進むことが後ろめたいのは、すごくわかる。犬死にさせるつもりか、とか発破かけたりするけど、自分を犠牲にしてヒロイックに退場するほうがよほど楽だとも思う。一度間違ったことをしたらもう二度と笑っちゃいけないような気持になるのもわかる。私も、乗り越えて進むことが罪であると思ってしまうタイプだ。

どれが本当だとか、どれが正解だとかはなくて、たぶん100年や1000年経っても議論され続けるテーマだろう。


■榛見あきる「天国の配信にふさわしいさよならで」
世界各地に点在する<共同墓地>を巡って動画配信をしている姉妹(姉はすでに死者であり、疑似人格)の話。

ポップな文体で死者ジョーク繰り出してくるのでちょくちょく笑える。ここで不死化社会が実現し始めているという話題が出てきます。テーマ二つ目。アンソロジー全体の構成もうまいなぁ。この話はとくにラストが素晴らしいんですが、ネタバレになってしまうので差し控えておく。

[ ... ] とくに、こと動画配信という媒体において、リスナー諸兄諸姉にとっては、その接触不可能性が前提として存在する以上、私さえも、元から、再現された死者と何も変わりがない。死者であるユウちゃんも、生者である私も、本質的には変わりない。諸兄諸姉たちにとって、私達はそもそも触れることができないのだから。(P.61)

若くして亡くなった存在はいくら会話しても成長しないのかな、と思ったけど、前回の会話内容を記憶しているということはそれだけの変化はあるということで、平行世界で生きてるようなものなのかな。そういう意味だとやっぱりどうあがいても「本人ではない」ところがポイントなんだろう。でも頑張れば実現可能そうな技術なのが憎いな。見てみたいもんな。実際、疑似人格と会話してそれっぽく返されちゃったら、生きてるみたいに勘違いしちゃうよなぁ。

ところで<共同墓地>を運営しているシャノワ社ってやっぱりchat noir=黒猫なんですかね。


■武見倉森「トランジション
人が死ななくなった都市部で150歳を迎えた私が、反不死化組織のテロで20代で命を落とした幼馴染と会話するため<共同墓地>を訪れる話。

寿命が延びるのは嬉しいことだとして、しかしずっと生き続けるのはいろいろ問題が発生するだろう。反不死化組織が発生するのも納得だ。作中のテロリストの声明にあるように、社会的地位の流動性が失われるというのは一番の問題だと思う。1000年生きる存在が王位に就いて善政を敷いたとして、しかし固定化された国に繫栄はあるのか? 10年後にはいなくなっていることを期待していた親類が生き永らえることに耐えられないパターンだってあるだろう。
私が子供のころは、永遠性というのをもっと無邪気に信じていたんだけどな。時間のない国で永遠に幸せに生きられるなら素敵だなって思っていたんだけど。

[ ... ] 私は私が死ぬ瞬間を想像できるか? 私は私が死ぬということをわかっているだろうか?
 私は、私が――私たちが――不死化処置を受けつづけているのは、そういった想像ができないからではないかと疑っている。(P.72-73)

私は毎日のように自分がいずれ死ぬということを考えているタイプの人間なので、それが先延ばしにできるなら有難いと思う。とはいえ不死化とはいっても完全な永遠などありえなくて、すごく長い有限というだけなので、根本的な解決ではないんだよな。というか、今現在生きてる人たちってどれくらいそういうことを考えているんだろうか、というのはずっと気になっていることである。世間では保険会社が儲かっているらしいので、自分が死んだ後に残された人のことを考える人は結構いるらしい。それが社会性なのか、すごいな、といつも思う。私にはそんな心の余裕がないからな。


■揚羽はな「エルゼの奇病」
不死化処置を受けない人々が暮らす『荒野』の兄妹と、不死化社会『メガシティ』からやってきた女性の話。

リアルな現代でも、死はずいぶん遠ざかったと思うし、これからもっと遠ざかっていくだろう。単純にそれは喜ばしいけど、いいことばかりでもない。でも生きるって素敵だよね、というポジティブなメッセージが感じられて、殺伐としたシェアワールドのオアシスになっているようだった。

 メガシティでは死なないことを逆手に取り、陰湿なやり取りが日常茶飯事だ。当然、メンタルケアには力を入れていて、永遠の命を健やかに過ごせるよう、万全の対策も取られている。だが、心身ともに衰弱してアクセスしなくなれば、手厚いサポートの網から零れ落ちてしまうことも、またよくあることだった。(P.88)

せっかく長生きできるなら楽しく生きてほしい(楽しく生きたい)のだが、やはり陰湿な喜びは蜜の味なのだろうな。メガシティは効率第一だから食事がタブレットやチューブでの栄養補給になっていたと書かれていたけど、たぶんそれは主人公女性の環境が過酷だったからで、一般市民はたっぷりある時間を使って食事を楽しんでいたと信じたい(私は食いしん坊なので、長生きするならそういう生活を送りたい)。でも逆に時間がたっぷりあって食事に凝りすぎて奇食に走る人も絶対いるだろうと想像する。


■菊地和広「入眠」
長すぎる寿命を持て余した人々が長期睡眠に入ることが一般化した世界の話。

オアシスタイムは終わり、現実が来た。どっちかというとこういう暗い話は好みでして、生活描写だけでめちゃくちゃテンション上がりました。

 朝のマシントレーニングを済ませると、川村はほの明るいキッチンに立った。この二十年ほどは懐古趣味にかぶれており、わざわざ「珈琲豆」を挽いたり「卵」を焼いたりしている。味も食感も栄養も、ものの数秒で出力できるディッシュプリンタは、片隅で置物と化している。
 それでも、自身のレトロ志向なぞ、長い長い生における一時的なものにすぎないこともまたわきまえていた。[ ... ] (P.104)

これこれこれ! こういうの! ほかにも必要ないのにわざわざ出社して仕事ムーブしてみたりとか、そういう描写がぐっとくる。平穏な日常というディストピア感。

毎日不労所得が欲しいと思いながら働いているけど、実際仕事辞めていいよって言われて完全にやめる人は少ない、というのはたびたび囁かれることだ。やりがいっていうと胡散臭いけど、社会の中での役に立ってる感はボケ防止にも効果があるらしいし、生きる気力になるのだろう。男性では少ないけど、女性は結婚するときに仕事をどうするかというのが選択肢として提示されることが多々ある。「今の仕事を続ける」以外で多いのは「今の会社は辞めるけど少し負荷の低い職場で仕事自体は続ける」というパターンじゃないか。そう考えると仕事しなくてもベーシックインカム的に国から一定のお金が振り込まれるスタイルで生活が成立するとしたら、それは国に飼われることになるのか。気に食わないな……でも働きたくはないな……本を読んだり夕日を眺めたりすることを仕事にしたい……。


■渡邉清文「誰も覚えていない」
長命化技術の第一人者であるケイ博士を殺害したテロリスト・ジェイが、ケイ博士の疑似人格と会話する話。

この作品の時代には、<共同墓地>はもう北極圏にしかなくなっている。弱い犬ほどよく吠えるし、恐怖にかられた人間ほど先に発砲する。というか、一人の人間が耐えられるプレッシャーなんてしれている(たまにすごい人は出るけど)。だからケイもジェイも所詮は一個の肉体だった、ということかもしれない。

 わたしたち社会活動復帰支援士は、長期刑に服していた犯罪者が新たな世界で生きていくための、活動のスタートを出所と同時に支援する。[ ... ]
 その最初のミッションとして、犯罪者がかつて殺した相手が共同墓地に眠っていれば、そこに赴き自分の罪と向き合う最後の場としてもらうように、わたしたちはさだめている。[ ... ] (P.129)

この設定になるほどなと納得しました。なるほど、死者に人権はない、というか、疑似人格は本人じゃない。よくできている。仮に疑似人格が死者本人だったとしたらできないことだ(疑似人格でも遺族としては嫌な気分になりそうだけど)。これは全面的に更生のためのプロセスだ。

レイキャビク経由での共同墓地への旅、墓地での対話など、なんかハードボイルドなアニメを見ているような気持ちでした。これまでの作品の布石もうまく回収していて、フィナーレの足音が聞こえる。レイキャビク行ってみたいなぁ。


■稲田一声「エアホッケーの向こう岸」
フィンランドに住む17歳の少年スルホが幼少期の秘密を探る話。

大トリ稲田一声、さすがだった……読み終わってからタイトルの良さを噛みしめる。めちゃくちゃよかった。
25世紀のメガシティでの暮らしの描写も面白かったです。AIに人間らしい言動をさせない規制とか、そういう方向に行く可能性もあるなぁ。

この話は秘密を探る話なので何か書くとネタバレになりそうで怖いんですが、やっぱり冒頭部分とラストの対応ぶりがきちっとしていて気持ちがいいことは書いておきたい。

 すっかり忘れていた子どものころの記憶が、ふとしたきっかけで蘇る――そういった経験が、誰しも一度はあるだろう。僕の場合は、二四三二年の冬のある日のこと、自宅のキッチンであやうくクッキーを取り落としそうになったのがきっかけだった。(P.144)

お手本みたいな書き出しだ。プロットきちっと組んで書いているんだろうなぁ。稲田一声はこういう論理的な運びが得意な印象です。いつも読後感が気持ちいい。

ちなみにフィルオルソゥル社ってどういう意味だろうと思ってググったら、著者のゲンロン時代の作品がヒットしました。元ネタこれか! しかしフィンランド語が分からず……どういう意味なんだろう。



最後にもう一度書いておきますが、めちゃくちゃよかったです。それぞれの作品の並べ方もよく考えられたアルバムみたいで、素直に前から読んでいくことをお勧めします。またこういうの、読みたいです。