好物日記

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映画『犬は歌わない』を観てきました

moolin-production.co.jp

以前別の映画を観た時に予告編が流れて、気になったので観てきました。モスクワの野良犬が生活する映像を中心としたドキュメンタリ―映画です。英語タイトルは "SPACE DOGS" なのを、「犬は歌わない」と訳したセンスに痺れる。
なおこの記事では特にネタバレ配慮していない(ストーリーのある映画でもない)ので、お読みいただく際にはあらかじめご了承ください。



ロシアとアメリカの宇宙開発競争で、ロシア側が宇宙船に乗せて送り出したのがライカという犬でした。ライカはもともとモスクワの野良犬だったが、人間に捕まり、幸か不幸か数々のテストをパスして、人類よりも一足先に宇宙空間に飛び出した。
イカは生きて帰らなかった。しかし彼女の魂は今もモスクワの街を彷徨っているという。

約90分の映像のうち、多分85%くらいはモスクワの街に生きる野良犬の生活を映したものです。あれ、どうやって撮ったんだろう。モスクワの野良犬は人に馴れている様子だったけど、それにしてもすぐ近くから自然な映像を撮っていた。そして、時折画面に映る人間たちも、街中に野良犬がいることに特に驚いた様子もなく、当たり前のような様子だった。バケツに水を汲んで犬にあげたり。モスクワって、今も野良犬がいるんですね。

しかし首輪をしていない犬の美しさといったら。犬の種類は詳しくないのであまりはっきり言えないのですが、カメラが追っていたメインの野良犬はシェパードの血が入ってそうな感じの犬で、脚とお腹のラインと、頭を下げているときの肩のラインがとても美しかった。なんていうか、セクシーですね。犬も嫌いじゃないんだけど、旅行が好きだから飼えないし、私の性格上毎日一緒にはいられない。でも格好いいなぁ、一緒にいるなら中型犬か大型犬だな。車にちょっかい出して盗難防止ブザー鳴らしちゃう場面とか、ナイトクラブの前でたむろする人間に混じって寝そべる姿とか好きでした。ポストカードにしてほしいような絵がいくつもあった。


さて、犬は人間の友達なのか。そして、人間は犬の友達なのか。

ここで効いてくるのがソビエト時代のアーカイブ映像と、時折挟まれるナレーションである。登場する人間たちの犬に対する仕打ちは、どう見ても友達に対するものではない。

宇宙に行った犬は、ライカだけではない。のちに何匹も送られ、中には生還した犬もいたらしい。宇宙に送り出される犬はデータを取るためにいろんな管を付けられ、狭い宇宙船内のケージに入れられる。
犬たちの手術シーンは痛々しさに心臓がぎゅっとなるけど、犬たちに手術を施す研究者は、処置の合間に宥めるように犬の頭を撫でたりしていた。なんだかそれが、ものすごい衝撃だった。あ、撫でるんですね。片道切符になるかもしれない旅に送り出しておきながら。あと、手術を受ける犬を押さえる女性研究者(あるいは獣医?)の爪に、綺麗にマニキュアが塗られていたのもやたら印象的でした。なんだかすごく人間ぽくて、犬との隔絶を感じた。

でも別に私は研究者たちを責めたいわけではないし、彼らが極悪人だというつもりもない。現代の倫理や動物愛護の観点からいえば動物実験というのはよろしくないというのはいったん置いておいて。
私たちは人間だから犬よりも人間を優先するよね、というのは、わかる。そして研究対象である犬に手術を施しながら、ちょっと頭を撫でてやったあの研究者の気持ちも、わかる。そういうのって、理屈じゃないところだと思うのだ。ついぱっと手が出ちゃうっていうか、惻隠の情と研究魂は別っていうか。うまく言葉にならないけど、そういうことってあると思うし、そういうところが人間だと思うし。だから、私はあの一瞬のアーカイブ映像がすごく好きだ。

ちなみにこの映画、前述の通り約8割くらいは野良犬生活の映像なのですが、野良であるということは野生であるということなので、公式HPには以下の注意書きがあります。

本映画は都会で生きる”野生”の犬の視点で描かれています。
一部過度に残酷と感じられる可能性があるシーンがあることを警告します。
このようなシーンを好まない方はご鑑賞はご遠慮下さいますようお願い致します。

「過度に残酷と感じられる可能性のあるシーン」というのはつまり、野良犬が猫を殺す場面です。
一瞬見つめ合って、猫はぱっと逃げようとするんだけどあっけなく捕まってしまう。野良犬は猫の首根っこを咥えて数回振回し、芝生の上に横たえる。しかし猫は口から血を垂らしており、もう起き上がらない。犬は猫の体を口に含む。猫の骨が折れる音が聞こえる。死んだ猫の脚を咥えて振回し、鼻先でその体をつつく。それでも動かない猫(だったもの)に、野良犬は興味を失って立ち去る。

このシーンは、この映画に絶対必要だったし、すごく良かった。食べるために殺したわけではなく、勢いよく動いたから反射的に捕まえたのだろう。もっと遊んでほしいのに動かなくなっちゃってつまんないな、ぽいっ、という雰囲気がすごく良かった。
人間は犬の友達ではないのと同じで、猫は犬の友達ではなかった。当然、犬も猫の友達ではなかった。人間が犬相手に好き勝手するのと同じく、犬も猫相手に好き勝手する。
ここで「友達」という表現をしてるのは、人間的な友情という意味合いではないです。むしろ「友達」ではなく「友達ではない」で言葉を区切りたい。それは分かり合えない感の象徴みたいなニュアンスです。まぁ究極的には人間同士であったって分かり合えないものではあるんですけども。
あとこの映画には、芸をする猿をショーに出す人間が出て来るんですが、こっちも別に「友達ではない」。この猿は優しく声をかけられ、客にだっこされたりするけど、人間に好き勝手されている。もちろん飼っている猿に対して愛情はあるだろうけど、どう見ても対等ではない。

でもそういうものだよな、って思う。ライカは別に宇宙に行きたかったわけではないだろうけど、人間の都合でスプートニク2号に乗せられた。ライカは自分が乗せられた物体を人間がスプートニク2号と呼んでいたことすら認識していなかっただろう。そもそも宇宙にいることすらわからなかっただろう。彼女にとっては天災みたいなものだ。

善悪で行動を評価するのは好きじゃない。世の中、計画的に事が運ぶことのほうが少ないし。望まない方向に物事が進んで行く原因が誰かの悪意だったり身勝手さだったりしたとしても、結果的にそうなった状態をひっくるめて進んでいくしかないのだ。
イカを始めとする宇宙犬たちは人間の勝手な都合でその犬生を捻じ曲げられたけど、そのまま生きていくしかない。モスクワの街を彷徨う野良犬たちもそうだし、多くの人間たちもそうだ。世界を変えるほどの大きな権力をもたない多数の人間は、時代に流されてその日その日を生きている。もちろん大衆が大きな波をつくって時代を変えることはある。しかしその波がひとたび生まれてしまったら、個々人は自分たちが起こしたはずの波に自分たち自身が呑まれることにもなるのだ。そんなものだよな、と思う。

そんなことを考えて観ていました。言葉少なで、映像の美しい映画でした。好きなタイプの映画だ。