好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ウオルィンスキイ『カラマーゾフの王国―ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』研究―』を読みました

カラマーゾフの王国

カラマーゾフの王国

1909年刊行の、当時のロシア人によるカラマーゾフ論です。日本語訳は1974年、みすず書房から。古い本だから書影が出ない悲しみ…

カラマーゾフの兄弟』およびドストエフスキーについてはナボコフはじめ、割と批判的なスタンスの批評家が一定数います。しかし彼は珍しいくらいの絶賛派。最近カラマーゾフ関連本を複数読みましたが、見事ぶっちぎりのドストエフスキー信望者という感じ。
全然知らなかったのですが、ウオルィンスキイはドストエフスキー研究では有名な人らしく、本書は『悪霊』を扱った『偉大なる憤怒の書』、『罪と罰』『白痴』を扱った『美の悲劇』とあわせて「ドストエフスキー論三部作」と呼ばれる一連の評論の一冊なのだとか。

確かにかなり丹念に読んでいて、褒めすぎじゃん?とも思うものの、詳細な引用にはやっぱり説得力がある。
グルーシェニカのことから話を始めるのが珍しくてちょっとびっくりしました。ドミートリイが彼女を称して「極道女(じごく)」と呼んだそれこそを彼女をすっかり表すものとしています。新潮文庫の原訳では「魔性の女」とだいぶマイルドになってますが、極道女とはいい訳だな。本文の訳は何を使ったとか書いていないので、本書を訳した川崎さんの訳なのでしょう。

グルーシェニカの後には「大いなる憤怒の女」たるカチェリーナが続き、父親のフョードル、そしてやっとドミートリイにスポットが当たる。
ドミートリイに限らずウオルィンスキイはそれぞれの登場人物の描写に注意を払う。歩き方に注目したり、どういうときにどういう風に笑うかを随所から抜き出してきたりしていて、そういう観点で見ていくと、確かに一貫性のある意図した表現のように思われて圧倒される。文学者って、そういう風に丹念に読み込んでいくのかーというのがすごく勉強になったし、実際こうやって読むと面白いなと思う。

ウオルィンスキイの論説のキーワードは巻末の結語にもあるとおり、「神愛(ポゴフィーリ)」と「抗神(ポゴフォープ)」だろう。前者はゾシマの背後にあるもので、後者はスメルジャコフの背後にあるもの。そしてカラマーゾフの3兄弟がこの2つの間を行ったり来たりするのを描いた小説が『カラマーゾフの兄弟』なのかなと思いました。アリョーシャは「神愛」派でイワンは「抗神」派と基本の軸足が明快なように見えるけど、ドミートリイはふらふらしてる印象。
「神愛者(ポゴフィーリ)たち」という別章をもうけて修道院の人々を詳しく書いているのが興味深かったです。そんな人いたっけ!というような人までちゃんと言及している。巻末をゾシマで締めているのは納得。キーパーソンだもんな。

文章が古めかしいのもあって非常に読みにくいんですが(訳者も訳しにくかったと書いていた)、面白かったです。リアルタイムで読んでいた人はきっと今私が読むのとは違う感慨があったのだろうな。もとより文学とはそういうものではあるのだけれど。褒めちぎっているのも、当時のテロが繰り返される時代を打破する何かを、ドストエフスキーの作品に感じたのかもしれない。

カラマーゾフの兄弟』、もう一周読み返したいです。