好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ニール・スティーヴンスン『七人のイヴ I』を読みました

小川一水の『天冥の標』シリーズが完結し、全巻読書会が開催された際に「天冥の標が好きな人におすすめの本」として紹介されたのが『七人のイヴ』です。
タイトルだけは知っていて、小川一水が帯書いているのも知っていましたが、未読だったので読んでみました。これは全3巻のうちの1巻です。

ざっくりとあらすじをご紹介すると、ある日突然何らかのエネルギーの衝撃を受けて、月が7つの塊に分裂。その塊は互いに衝突を繰り返し、地球に隕石の雨を降らせるだろうことが判明。その期限、およそ2年。人類は種の存続のため、国際宇宙ステーションノアの箱舟のように仕立てようとするが…というお話です。

なぜ月が分裂したのか?という点については詳しく語られません。しかし物理法則は意義のある理由を必ずしも必要としないし、エイリアンが関与するよりよほどリアルな状況なので問題はない。この小説の面白さは「地球の滅亡が目前に迫ったとき、現代(21世紀初頭)の人間社会はどのように対処するか、またはどのような対処が可能か?」というお題への答えを一つのSF作品として仕上げていることでしょう。状況を一気に巻き返すような秘密の発明や魔法は一切出てきません。現代科学で実現可能であると想定される方法で答えを出そう、というサイエンス・フィクションとしての縛りがちゃんと守られています。しかも理路整然とした科学技術や物理法則に横槍を入れるような人間社会の権力構造や不安定な心理なんかがちゃんと織り込まれている。だからこそ面白い。

1巻では、隕石の雨=<ハード・レイン>が発生するまでおよそ1年、という時点までが描かれています。全人類のうち、誰を箱舟に乗せるか?現実問題として、箱舟に収容可能なのは何人なのか?何を基準にして箱舟に乗る人を選ぶのか?国際宇宙ステーションを人類を存続させるための箱舟に仕立てるにはどうすればいいのか?
いずれ滅亡するであろう地球に住む大多数の人々は、案外普通の生活を送り続けているけれど、多分そんなもんでしょう。現実逃避のひとつの形かもしれないけれど、人々は昨日と同じ今日を、今日と同じ明日を過ごそうと無意識的に考えるでしょうし。そして国のトップや軍などは「人類の存続」プロジェクトを最優先すべき目標として掲げ、邁進する。これもやっぱり無意識的に現実逃避の手段の一つなんだろうなぁ。

誰が箱舟に乗るのか?その選定が一番難しいでしょう。表向き、人の命に貴賤はなく、あらゆる国家や民族は平等であるということにしておく必要がある。でも実際はそんなわけないというのも世の中の真理で、その辺の事情にどう対処するの?というのも見どころの一つです。私は物理や化学は非常に弱いので、箱舟化した国際宇宙ステーションで人類が宇宙空間をどうやって生き延びるか?という問題よりも、誰を宇宙に送り出すか?という地上のパワーバランス的な話のほうが興味深かったです。しかしハード的な問題とソフト的な問題のどちらも書いてあるというのが、ニール・スティーヴンスンの凄さなんだろうなと思います。技術面での方法論だけに偏らないで、世界的な異常事態が起きた時に人類社会がどういうことをするか、科学的知識に乏しい大多数の人々がどういう心理状態になってどういう行動に走るか、という視点がとても面白かったです。

そしてニール・スティーヴンスンの作品は初めてだったので、牧眞司さんの解説がわかりやすくてありがたかったです。2巻に続く。