好物日記

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そごう美術館「千住博展」に行ってきました

www.sogo-seibu.jp

千住博さんが高野山金剛峰寺に奉納する襖絵と障壁画を完成させました。記念の展覧会が富山から巡回して横浜そごうのそごう美術館にやってきたので、いそいそと観に行ってきました。
日本画は屏風や襖に描かれることが多いため場所をとるものですが、今回の大作は六曲一双の屏風絵なんぞとは比べ物にならないくらい大きいので、作品の点数はそんなに多くはありません。高野山に奉納される「瀧図」と「断崖図」、ヴェネツィアビエンナーレで展示された「龍神」が目玉です。とにかく横に長い、長い。配置大変だっただろうなぁ。

会場で流れていたビデオで知ったのですが、展示されている「瀧図」は、描くときに和紙をぐしゃぐしゃにしてわざと皺をつけて、その状態に絵の具を垂らして作ったのだそうです。瀧を描くのではなくて、和紙の上に瀧を再現する感じ。「断崖図」の岩肌も同じように皺を作って絵の具を吹きかけていました。面白いことするなぁ。
ほかにも「龍神」は蛍光塗料を使っているので、暗闇でブラックライトを当てると青く輝く。実際展示でも一定時間おきに暗くして光らせていて、日本画の新しさを見た。伝統もいいけど、伝統を踏まえて革新するのは素晴らしいですよね。挑戦的なところがすごく良かった。
千住博さんは大御所のイメージがあったのですが、まだお若いんですね。60になったばかりだそうで。画家は死ぬまで画家なので、まだまだ新しいことをしてくれそうで楽しみです。

ちなみに今回の絵は高野山に奉納するわけですが、ビデオを見ている限り彼自身が仏教徒というわけではなさそうでしたね。私は仏教は根本的には宗教ではなく哲学の一種だと認識しているのですが、今回の作品を見てやっぱりそうだよね、と改めて思いました。
というのも例えばキリスト教の教会に絵を奉納するときには「神に捧げる」意図になると思うし、神社に奉納するときも「祭神に捧げる」のだと思うのですが、お寺に奉納するものは「衆生に捧げる」意識が強いように思うのです。キリスト教教会や神社は信仰の対象に捧げるのに対して、仏教は信仰する人を主眼に置いているように感じます。そもそも仏教って、神様いませんしね。
だから奉納者が仏教徒でなくても何の問題もないはずだと思っています。絵が配置される空間と、そこで修行するお坊さん方への敬意があれば、それでいいんだろうなぁ。
会場に流れていたビデオによれば、今回高野山に絵を奉納するときに千住博さんが考えたのは「高野山金剛峰寺の開祖である弘法大師(空海)」だったそうです。仏教では死んだらみんな仏さんだから、結果としては仏に捧げるということになるのかもしれないけど、それはつまり衆生に捧げるわけで、やっぱりそこに戻ってくるんですよね。キリスト教神道に奉納するのとは明らかに違う話だよな、と。そしてそこが仏教のいいところだと思います。人が主体になるところが好きだ。

あと絵の具を作るのも伝統的な、1000年前と同じ方法で作っているとのことで「この方法で作ると1000年残るんですよ、実際1000年前のを我々が観てますからね」みたいなことを言っていて、そのスケールの大きさに慄いた。すごいな。1000年残る方法で作るのはともかく、1000年残すことを前提で作るっていうのがすごい。さすが仏教、というほかない。

高野山に奉納されるのは2020年とのこと。そごう美術館では2019/4/14(日)までの展示です。