好物日記

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映画『自転車泥棒』を観ました

自転車泥棒 [DVD]

自転車泥棒 [DVD]

先日、ツタヤで旧作レンタルが安くなっていたのでDVDで借りてきて観ました。年末に出版された呉明益の小説『自転車泥棒』を読んでから、そういえばまだ観ていなかったなぁと気になっていたので。

舞台は戦後の貧しいイタリアで、人々は仕事をしたくても仕事がない状況。二児の父であるアントニオも仕事にあぶれていた一人だったが、ある日ついに役所のポスター張りの仕事を手にする。意気揚々と仕事に出かけるアントニオだが、仕事中に商売道具である自転車を盗まれてしまう。自転車がないと仕事を首になってしまうため、アントニオは盗まれた自転車を探して息子と一緒に街を歩きまわる。そんな映画です。

私はイタリア映画独特の暗さ(多分貧しさから来る)が好きなのですが、この映画も例にもれず、冒頭の音楽から短調の悲しげなメロディーがまさにイタリア映画!という感じ。あとヨーロッパ映画って総じて子供の使い方が非常にうまい印象なのですが、この映画で父親と一緒に自転車を探す息子も非常に良かったです。あくまでイメージですが、フランス映画の子供は口が達者で身だしなみにも気を遣う、妙に擦れた大人の縮小版という感じなのですが、イタリア映画の子供は純朴な瞳でじっと大人の所作を見ている、ただ見ている。でも幼いというのではなくて、天使のように見守っている、という印象です。イタリアでも7つまでは神のうちなのかな?彼らはキリストの化身なのかもしれない。イタリア映画で子供が「パパ!」と呼ぶ声はそれだけでもう泣かせてくる…

この映画でも、アントニオが一家を支えるため、盗まれた自転車を何としても見つけ出さなくては!と焦燥に駆られてどんどん余裕を失っていくのですが、観察者としての息子がそんな父の姿をじっと見つめていて、その達観したような雰囲気に気圧される。犯人に近づいたのに手がかりを失ったことで息子が父親を非難すると、かっとなった父親が手をあげる場面があるのですが、そうやってじりじりと追い詰められていく描写がえげつないほど上手い。作中で描かれる父親はせっかく手にした仕事を失いかけている男で、息子を前にしても決して格好よくはなく、ただの弱いひとりの人間でしかない。弱い人間が足を踏み外す経緯ってこういうものだし、どうしようどうしよう、ってなったときに冷静でいられる人は主人公タイプだけどそうそういないでしょう。生まれた時代や立場が違えば、だれだってアントニオになりえたし、アントニオだって自転車を盗んだ男になりえたのだ。まっすぐ生きられるかどうかは心が強いかどうかだけではなくて、まっすぐ生きられる環境にあったかどうかが大きく影響するものだよなと思います。犯罪を犯さなくても生きていられるという環境にいるだけで、かなり幸運なのだと思う。
映画のラストでアントニオがある決断をするとき、言葉はなにも語られず、ただ追い詰めるような音楽とアントニオの動作だけで彼の心情を語るのですが、言葉にされない分、アントニオの気持ちがすごくよく伝わってくる。何も言わずじっと父親を見ている息子が実に良い。

ちなみに記事を書くときにはじめて知ったのですが、この映画、素人から俳優さんを抜擢していて、ネオレアリズモの代表作と言われているそうです。日常の延長を映してこれが現実だ!と突きつける感じですかね。父親も息子もめっちゃ良かったのでびっくりしました。

あと盗まれた自転車を探すとき、友人のアドバイスで市場を見に行くのですが、「バラされて売られているかもしれん。おまえはサドルを、お前はタイヤを探せ」みたいな感じで分担して探しているときに、呉明益の『自転車泥棒』を思い出しました。呉明益の小説でも、古い自転車を完全な形に戻すにはパーツを買い集めて組み立てるんだ、と言っていたなぁ。

いい映画でした。