好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

プリーモ・レーヴィ『周期律―元素追想』を読みました

周期律―元素追想 (プラネタリークラシクス)

周期律―元素追想 (プラネタリークラシクス)

書店で新装版を見かけて、興味を持ったので図書館で借りました。とても良かったので後で買う。工作舎は好きな出版社のひとつです。
著者は1919年にイタリアのトリノに生まれたユダヤ人。アウシュビッツから生還した一人で、化学者です。アウシュヴィッツでのことは『アウシュヴィッツは終わらない』という本に書いているそうなのでそちらも読みたいのですが、『夜と霧』も怖くてまだ読めていない私なので、ちょっと心を整える時間をください…。

この本には21種の元素に関する思い出や小作品が収められています。分類としてはエッセイだと思うのですが、たまにフィクションが入っているという私好みの構成。さりげなく時系列になっていて、最初の「アルゴン」は著者の家系に連なる人物の紹介、次の「水素」は少年時代の思い出、そして3つ目の「亜鉛」では大学生になる。そしてファシズムの支配するイタリアで生活し、人種法で苦しめられ、アウシュヴィッツに送られ、戦後は科学者として働く。
誰しもがそうであるように、自分の歩いてきた道を振り返ってみたとき、ここにこうして私がいた!ということを伝えたかったのだろうなと思いました。作中で著者自身が書いているのですが、アウシュヴィッツの経験を文章にすることでなんとか自我を保っていたところがあるそうです。強烈な体験をしたときには、その体験を一人だけで抱えるのはかなりしんどいんだろうなぁ。自身の体験や経験を語るというのは、心理セラピーなどでもよく聞く方法ですし、人に聞いてもらうというのはやっぱり心の負担を軽くする効果があるんでしょうね。愚痴を言うのも精神的防衛本能のなせる業なのかも。人間って不思議だな。

語るべきことを持っている人の語りはとにかく力強くて引き込まれるのですが、往々にして語らずにはいられなかったという執筆の背景は悲しいものです。死んでいった人々の記憶が彼らを駆り立てるのか。きっと戦争のあとには誰もが死者を背負っていて、レーヴィもその一人だったのでしょう、この本でも故人との思い出がたくさん語られています。歴史の偉人ではなくて、市井の人々の中にこそ歴史があるのだなぁ。
また著者は旧友と再会する「銀」で本のネタになりそうな話を依頼するのですが、そこで大企業が行う無名の作業ではなく人間サイズの化学にまつわる話が好きだと書いています。大きな流れとして「化学とは」と大上段に構えるのではなくて、ひとつひとつの事例の集まりでイメージを喚起しようという意図があるのでしょう。そしてそれは「ここに私がいた!」ともはや言うことができない人のために、レーヴィが「ここにこんな人がいた」と懸命に代弁していることにも通じるように思います。

大学時代の友人との思い出を書いた「鉄」、指導教官との思い出を書いた「カリウム」、ドイツ軍に囚われていた時期に敵であった人物と再会する「ヴァナディウム」が特に印象的でした。よい作品でした。