好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』を読みました

フライデー・ブラック

フライデー・ブラック

「初の邦訳」と帯に書かれていたのが気になって、書店で手に取りました。装丁が好みだったのと(表紙もさることながら、表紙をめくった後の黒いペラ紙の質感も良い)、冒頭の『フィンケルスティーン5<ファイヴ>』を数ページ立ち読みして「これは買った方がいい本だ」と判断したので、レジに持っていきました。

ガーナからの移民である両親を持つアフリカ系アメリカ人の新人作家の短編集です。経歴を見ると、ジョージ・ソーンダースの教え子らしい。あー、そう言われるとなんかわかる、そんな血を感じる。
収録作品は全12編。全編通して、社会的な立場が弱い人たちの物語。社会に押しつぶされないようにするために対抗する人たちの物語でした。そして全編通してテロルの嵐だった。正直、読んでいてめちゃくちゃしんどかったです。舞城王太郎とか、佐藤友哉とか、あのへんに通じる何かをもっと凝縮した感じ。暗くて狭い金属製の箱の中で空気穴を探して彷徨うような息苦しさ。

特に印象深かったのが、冒頭の『フィンケルスティーン5<ファイヴ>(Finkelstein5)』です。
フィンケルスティーン図書館の外でたむろしていた黒人の少年少女5人が子連れの白人男性にチェーンソーによって殺されるという事件が起きるが、「正当防衛である」として白人男性は無罪になった。しかしその判決が出た後、ドレスアップした黒人たちが白人をリンチする事件が多発するようになる。そんな中、エマニュエルという黒人青年は就職面接を受けに行く……。そんな話です。
この短編集全体で訴えられているものを代表しているように思う。もう、つらくてたまらないのですが、読んでよかった。すごく良い作品でした。エマニュエルの葛藤が喉元まで迫ってくる。

その朝、彼が最初に下した決断は、自分のブラックネスの度合いだった。つまり、いつもと同じ朝だ。深い褐色が一面に続く、エマニュエルの肌。公の場で人々に姿を見られる場合は、ブラックネスを一・五まで下げることは不可能だ。ただし、四・〇までなら下げることはできる。ネクタイを締め、ウィングチップの靴を履き、笑顔を絶やさずに、室内用の声で静かに話す。話している最中は、両手を行儀よく脇に置いたまま、決して大きく動かさない。これが、四・〇の条件だ。(P.9)

5人の少年少女が図書館の外でたむろしていただけで殺害されることが「正当防衛」と公的にみなされる世界で、エマニュエルはその世界にコミットするための就職面接を受けに行く。ブラックネスを下げるファッションで、無害な人間の所作を心掛け、にっこりとほほ笑む。そうすれば受け入れてもらええる。けどそうしなければ、殺されたって文句は言えない。

バス停はごった返していた。エマニュエルは、人々の目が自分に集まるのを感じた。誰もがハンドバッグを守ろうとしているようだ。(中略)エマニュエルはここで、危険を冒してみようと思い立った。キャップを後ろ向きに被ったのだ。これで、彼のブラックネスは一気に八・〇まで上昇した。周りの人々は静まり返った。彼らはごく友好的な態度を装いながらも、まるでエマニュエルがトラやゾウであるかのように距離を取り、サーカスの動物を見学しているかのように振る舞った。彼が歩くと、誰もが道をあけた。(P.12)

エマニュエルは、そんな世界で生きている。そして物語は進む。
なんといっても44ページのエマニュエルの叫びが苦しくてたまらないのです。最後まで読み切るしか道は無いので、読み切りましたが、非常にしんどかったです。でもすごく良かった。この記事を書くために読み返してましたが、つらい…

気持ちの上ではこういうこと言いたくないけど、明らかにやりすぎだし無罪はないわと思うけど、チェーンソー振りかざした白人男性の父親の気持ちも我々の中には、実際には、あるんですよ。守るべき小さな子どもと一緒に道を歩いていて、子どもに危害を加えるかもしれない存在が近づいてきたらどうするか。「にげる」「たたかう」の選択肢で、どちらを取るか。普通ならせめてちょっと迂回すればいいだけの話。でもそれだって、迂回することの正当性など本当はどこにもないのだ。
親は「怪しい人には近づいてはいけません」と子どもに言うし、戦って勝てない相手には近づかないのが身のためだ。信号が青だからといって車が突っ込んでこない保証などどこにもないし、突っ込んできた車にはねられてから「青信号で渡ったあなたが正しい」とか保証されたって何の意味もない。
でも、それでも、「なんとなく怪しいから」というだけで迂回することに、実は正当性などないのだということを認識すべきではないか。
もちろん、迂回するなとは言わない。何かあってからでは遅いし、身を守ることは必要だ。でも平時から疑いの目で見続けるというのは、非行を促す典型なんですよね。それは、つらい。とてもつらい。

本書には上記と似たテーマの話がもう一つ入っていて、それが『ジマー・ランド(Zimmer Land)』です。
正義を行使する快感をプレイヤーに提供するテーマ・パーク「ジマー・ランド」。ここで「民家の周りをうろつく不審な黒人」役として働くアイザイアは、家を守るために不審者を撃退するという正義を行使するプレイヤーによって、毎日(ゲームの中で)殺される。そんなある日、テーマ・パークの年齢制限が撤廃されることになる……
暴力表現に厳しいアメリカではまずありえない設定だけど、ラストがよい。「あなたは正しい」という後ろ盾の元に正義の鉄槌を下すことの快感と醜さが、ジマー・ランドで提供されるアトラクションとしてのゲーム設定によく表れています。そうだよね、気持ちいいよね。悪役のボスを袋叩きにしても、正論で相手を言い負かしても、正義の御旗がこちらにあるなら無罪なんだよね。正義の剣の傲慢さだ。

そしてこういうテーマって、時期が時期なのでどうしても新型肺炎に伴う差別行動が頭に思い浮かんでしまう。中国人を締め出せ、なぜなら彼らは保菌者だからだ。これは差別ではない、正当な理由のある防衛行動である。もちろん、自衛は必要だ。でもどこまでが正当な自衛で、どこからが差別なのか?


もうひとつ、表題作『フライデー・ブラック(Friday Black)』についても一言書いておきたい。これもすごく面白かった。
アメリカにおいて感謝祭翌日の金曜日は、クリスマス・セールが始まる「ブラック・フライデー」。一斉にセールが始まるこの日を迎えた某モールを舞台に、売り上げナンバーワンを誇る「俺」が客との死闘を繰り広げる話です。
死闘というのは文字通り死闘で、一日の終わりには戦いに敗れ去った死体が店のあちこちに転がっている。店に詰めかける人々は着用者やサイズなどの限られた単語をただ叫ぶだけの亡者となり果てているが、売上ナンバーワンの「俺」は亡者の言葉(ブラック・フライデー語)を理解して、目当ての商品をあてがってやる。

「コ、コ、コール・バブル。S。俺! コールグレー!」
 ある男は胸を叩きながら言った。職場でコールマイスターを持っていないのは、俺だけなんだ! そんな体たらくじゃ、シニア・アドバイザーなんて務まらないだろう? 俺だけなんだよ! 俺はポールの先端を男の首に押し当て、その飢えた口を遠ざける。それから、男から目を離すことなく、コールマイスターのダウンジャケットを背後のラックから掴む。ダウンジャケットが男の手に渡った。彼はダウンジャケットを抱き締めると、レジへと駆けていった。(P.174)

物質主義のなれの果てと、小売業界の業の深さが共依存している感じ。昏い世界をユーモアたっぷりに書いていて、面白い小説でした。どうやら映画になるらしいので、ちょっと気になる。ゾンビな客たちが怖そうだな…。

長くなってしまったのでそろそろ終わりにするけれど、他に『フライデー・ブラック』の続きの話にあたる『アイスキングが伝授する「ジャケットの売り方」(How to Sell Jackets as Told by IceKing)』や、いじめられっ子が女子学生を銃殺する『ライト・スピッター――光を吐く者(Light Spitter)』なども良かったです。ごく自然にSF的要素を取り入れてくるところが、デジタルネイティブ世代って感じだ。
全体的にとてもしんどいし、マジックリアリズム的な色が濃い作品はちょっと馴染めなかったけど、買ってよかった一冊でした。しかしやっぱり、特に冒頭の『フィンケルスティーン5<ファイヴ>』がすごくいいな。