好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

文楽「新版歌祭文/傾城反魂香」を観てきました

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国立劇場で上演される文楽人形浄瑠璃)の東京公演は、毎回せっせと通っています。
令和2年2月公演は三部にわかれていましたが、今回は第二部を鑑賞。目当ては六代目竹本錣太夫(しころだゆう)の襲名披露と、豊竹咲太夫の語りです。

襲名披露の挨拶を聞くのは初めてでしたが、あっさりとしていて好ましかったです。竹本津駒太夫改め竹本錣太夫となったのですが、80年ぶりに名乗られる名前なのだとか。ご本人ではなく、別の方(お名前がわからない…)がご挨拶していました。これから襲名披露の演目を語るのに、大事な喉を使っていられないよな。新鮮だったけど、合理的だなと思う。

演目については、『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』は初見でした。上演されたのは「野崎村の段」で、あらすじはざっと以下の通り。
油屋の丁稚・久松が店の売り上げを騙し取られて郷里の家に戻り、養父母の娘おみつと祝言を挙げることになった。しかし久松は油屋の娘であるお染と恋仲になっており、久松恋しさにお染ははるばる郷里へ訪ねてくる。おみつは昔から好きだった久松との祝言に浮かれていたが、家へ訪ねてきた美人を恋敵であるお染と知り、なんとか追い返そうとする。しかしおみつが祝言の支度をしている間に久松はお染と再会。「お嬢さんいけません…!」と久松は他家へ嫁ぐようお染を諭すが、「いやや、いやや」とお染は拒絶。一緒になれないなら死ぬと言いすがるお染に、ついに久松は心中を決意。久松の養父の説得によって表向きは別れ話を済ませた(しかし本心は心中を決意した)久松がいざおみつと祝言を挙げようとするが、再登場したおみつは尼になる準備を整えていたのだった。「お二人とも本当は心中するつもりなのでしょう、だったら私が身を引きます(意訳)」というおみつに養父はびっくり、久松とお染は涙。突如現れたお染の母が久松とお染を大阪に連れて帰り、おみつは郷里に残るのだった…

うーん、あらすじだけ書くととんでもないストーリーのように感じますが、現代の常識で見ているからだというのは差し引いて考えたい。しかし久松はもっとしっかりしろよ!という気はする。ラノベの主人公っぽい気がしますけど、現代のラノベのほうがもうちょっとしっかりしていそうだ。この段での久松のヒーロー的な見せ場って特に無いんですよね。彼自身はなんもしてなくて、幼馴染のおみつが全部助けてくれているだけだ…
実際に観ていると、おみつがお染をなんとか追い返そうとするくだりがコミカルで面白いのですが、文字にすると伝わりづらいかも…。内気で親孝行な田舎の娘なのですが、ずっと好きだった久松と結婚できることになっていそいそと身支度をするところとかすごく可愛い。でも女の本能で「お染にはかなわない」と悟りながらもなんとか追い返そうとするおみつと、それに負けずなんとかして久松と会おうとするお染のバトルは見ものでした。
「野崎村の段」では最終的におみつが尼になって身を引くことで久松とお染が油屋に帰りめでたしめでたし、となるように見えるのですが、実際にはこの後いろいろ苦難があって結局心中するらしい。えええ…おみつがせっかく尼になったのはなんだったのか。しかし元ネタになった事件が心中事件らしいので、そういう結末は避けられないんだろうなぁ。

ちなみにこの「野崎村の段」の最後の場面が豊竹咲太夫の語りと鶴澤燕三の三味線だったのですが、あまり詳しくない私でもはっきりと上手いと感じる安定した語りでした。燕三師匠も三味線弾きながら、コミカルな場面でちょっと微笑んだりしていて、安定したコンビであるのを感じた。危うさがないというか、力みがないというか、すごかったです。上手いって、こういうことなんだな。
あと、咲太夫さんの前に語った竹本織太夫も張りのある良い声で、耳に心地よかったです。多分この段はお染やおみつという若い女性の出番が多いので、喉に辛い場面じゃないかと思う(女性のセリフは高い声で語るから)のですが、太夫さんの声域の幅広さはすごい。


もうひとつの『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』は前にも観たことのある演目でした。今回の上演は「土佐将監(とさのしょうげん)閑居の段」。
生来の吃りである浮世又平はおしゃべりな女房と共に大津絵(絵葉書のようなもの)を売って細々と暮らしている。土佐の名を名乗ることを渇望しているが、師匠である土佐将監の許可が得られない。そんな中、弟弟子が画功を立てて土佐の苗字を賜ったことを知り、自分もなんとか免許皆伝してもらえないかと師匠のもとへ馳せ参ずる。「お前は何の功も立ててはいないだろうが!」と一喝されて絶望した又平は、将監の館の庭の手水鉢を墓碑になぞらえ、自画像を描いてから自害することを決意。すると、渾身の自画像は岩でできた手水鉢を抜け、なんと反対側の面にくっきりと浮かび上がったのだ。これはあっぱれと、土佐将監は又平に土佐光起の名を授ける。

又平の吃音は土佐将監が手水鉢を一刀両断することで治ります。吃音の話し方と、治った後の滑らかな話し方のギャップが見せ場の一つ。大喜びの又平は良いやつだなぁ。善人が報われるとほっとしますね。襲名披露の門出らしい良い演目だ。
あと絵から飛び出してきた虎を追いかける地元の百姓の動きがコミカルでいつも和みます。名前のない百姓が演目に出ることは度々あるのですが、いつもコミカルな役回りで非常に好きです。偉い人が厳かに語っている間、舞台の隅っこでふざけ合ったりしていて、毎回楽しみにしています。今回もとても良かった。


ちなみに次の文楽東京公演は5月、『義経千本桜』を通しでやるようです。通しは一日がかりなので座りっぱなしになるのですが、折角だから観たい気も。どうしようかなー、悩むなー。