好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

後藤明生『挟み撃ち』を読みました

後藤明生の名前を知ったのは、2022年6月に刊行された『代わりに読む人創刊準備号』だった。

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Twitterで流れてきて興味を持って書店で手にとって、面白そうだったのでそのまま買った、書籍の作りになっているけど雑誌を名乗る不思議な本。
テーマ「準備」にまつわる特集の寄稿もすごく面白いのですが、それとは別に「これから読む後藤明生」という小特集が組まれていて、私はそこで初めて後藤明生という作家を知った。メイセイと読むこともあわせて知った。小特集では4つの読み物が載せられていて、寄稿している4名全員が後藤明生の代表作として『挟み撃ち』に触れていた。みんながあまりに愛情を込めた寄稿をしているものだから、『挟み撃ち』なる小説を読みたくてたまらなくなった。


しかしまぁ実際に私がそれを買ったのは確か秋頃だったし、読み始めたのは年明けになってしまった。
ちょっと遠出をする機会があり、長い時間電車に乗るので、旅のお供に『挟み撃ち』を連れて行くことにした。その頃には「なんかめちゃくちゃ面白いらしい本」というくらいに記憶が薄れていたけれど、結論として、冬に電車の中で読むのに最適な本でした。よいタイミングで読んだと思う。

 ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得。わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。(P.7)


ある日の夕方、御茶ノ水の橋の上に立っている描写から小説は始まる。早起き鳥のことなどなかったかのように「わたし」の思考は自身が立っている橋の名前に移り(正確には、「わたし」がその橋の名前を知らないということに移り)、早起き鳥のことに戻ってきたと思ったら「わたし」が身につけている外套に話が移り、ゴーゴリの『外套』に話が移る……。「わたし」の頭の中を占める話題がくるくると巡っては戻り、また別の話題になり、というのがごくごく自然に軽やかに行われるのが、読んでいてとても楽しい。

 あの外套はいったいどこに消え失せたのだろう? いったい、いつわたしの目の前から姿を消したのだろうか? このとつぜんの疑問が、その日わたしを早起きさせたのだった。(P.23)


『挟み撃ち』は、「わたし」が大学受験のために上京したときに着ていたカーキ色の旧陸軍歩兵の外套の行方を知ろうとする話である。それが一体なんで「挟み撃ち」というタイトルの小説になるのか、というのは、まぁ、読めばわかるのです。読み終われば、『挟み撃ち』ほどこの小説のタイトルに相応しいものはないとすら思う。

講談社文芸文庫は解説が良いのですが、『挟み撃ち』も例外ではなかった。武田信明による解説「不意撃ち/挟み撃ち」が、初心者にも非常にわかりやすくありがたかったです。読みながらずっと気になってモヤモヤしていた部分がクリアになる嬉しさ。新たに得た補助線を使って、作品をもう一度頭から読み返したくなった。解説の鑑ではないか。

<わたし>が外套の行方をもとめること。ゴーゴリの『外套』のような小説を書きたいという思い。ここにおいて、外套探索譚は完全に二重化されていることが明らかにされるのである。つまり、<わたし>にとっても作品にとっても、「外套」は必要不可欠な、まさに核心とでも言うべき存在だとも言えるだろう。では、なぜその核心たる外套探索譚が、まがいものでなければならないのか。それは発想が逆転している。いかにも意味深げに読まれてしまうであろうからこそ、それなりに首尾一貫した物語へとやすやすと成長してゆくであろうからこそ、外套探索譚は作者後藤明生にとって意図的にまがいものとして提示されているのだ。(P.262-263)


まだ一回しか通しで読んでいないけれど、『挟み撃ち』は何度も読み返せるスルメ本だと思う。ウォーリーを探す如く「わたし」を挟み撃ちにするペアを拾い読みするのみアリだし、頻出単語「とつぜん」をマーカーするのも楽しそうだ。(細かいことだけれど、後藤明生はずっと「とつぜん」と表記しており「突然」とは書いていない)

そう、「とつぜん」は『挟み撃ち』の頻出単語にして重要なキーワードでもある。冒頭から「とつぜん」早起き鳥を思い出すことでそれは提示されていたわけだけど、まさかここまで重要単語だったとは。「とつぜん」の重要さについては小説中盤で「わたし」が中学一年のときに満州で敗戦を迎えたときの回想部分の、記憶の中の兄に語りかけるシーンで熱弁されている。

 実際、昭和七年にわたしが生まれて以来、とつぜんでなかったことが何かあったでしょうか? いつも何かがとつぜんはじまり、とつぜん終り、とつぜん変わらなかったでしょうか? あるいは兄さんには、とつぜんではなかったかも知れません。また、兄さん以外の誰かにも、それらはとつぜんではなく、当然であったかも知れません。誰か、とはいったい誰でしょう? もちろん、わたし以外の他人です。そのような誰かを、わたしも何人かは知っています。顔も名前も知っているものもあります。その誰かや兄さんにとっては、当然過ぎるくらい当然であったことが、わたしには「とつぜん」であったわけです。いや、あったばかりでなく、たぶんこの先も、わたしが死ぬまでは続くでしょう。(P.166-167)


私が大学生だったとき、高齢の教授が敗戦によって日本の価値観がひっくり返った話をして「君たちには決してわかるまい」みたいなことを言っていたことを今でも覚えている。なんで覚えているのかというと、経験したものだけが語れる優越を感じて癇に障ったからなんですが、当時のあの世代の多くの人たちはおそらく同じトラウマをずっと抱えていたんだろうと思う。一日で世界の価値観がとつぜんひっくり返る経験。
私はもちろん敗戦を経験したことはない。けれど、そうと信じていたことがそうではなかったと気づいたり知ったりすることは大なり小なり誰もが経験することだろう。小さい頃は絶対だと思っていた親が別に神でも王でもなくただの人間なのだと気づいたり。命あるものはいずれ死ぬのだと知ったり。それは自分や自分に近しい人たちも例外はないのだと知ったり。そういう情け容赦のない事実はたいてい「とつぜん」我々を襲う。まったくもって油断しきっているところに、映画なり小説なり、あるいは直接的な事象として降り注いでくるのだ。誰も何も準備ができていないまま、「とつぜん」それを迎えて狼狽する。

久家のように人生をきちっと組み立てて生きていける人もいる、けど、「とつぜん」のインパクトにショックを受けたまま右往左往しているうちに10年20年あっという間に経ってしまう人もいる。それでも「わたし」はちゃんと人並みに結婚して団地に住んで子供もいるんだから、偉いぞ。「わたし」自身は「わたし」を半端者のように感じているようだけど、はたから見ればそうでもないのではないか。そして、はたから見ればそうでもないけれど心のなかで自分を半端者のように感じていた人は、実は結構たくさんいたのかもしれない。丈に合わない服を着てずっと居心地悪い気持ちでいたのかもしれない。久家だって、本当は丈に合わない服を着ているのだけれど、本人がそれに気づいていないだけなのかもしれない。そういう人は、今もたくさんいるのかもしれない。ほらこれが幸せだよ、これが正義だよと与えられた既製品だけで、誰もが満足できるわけないものな。とはいえすでにあるものに身体をあわせる社会であることは、「とつぜん」の前にもそうだったに違いない。幸運にも既製品が身体にぴったりと合う人もいるのだろうけど。

 多くの人々が外套に代って着用しはじめたものを、何と呼んでいるのか、わたしは詳しくない。もうずいぶん以前、トレンチ・コートとかいう、腰のあたりにベルトのついた上張りが流行した。また、スリー・シーズン・コートという名前も一時耳にしたような気がする。しかしいずれもだいぶ前の話であるから、もちろん現在のはやりではないはずである。そして、いま多くの人々が着用している外套に代るものの名前をわたしは知らない。わかっているのはただ、それが外套ではないことだけである。(P.12)


なんだか話がそれてしまったような、言うほどそれてもいないような。しかし『挟み撃ち』についてはそれでいいのだ、きっと。ひとつのテーマを決めて論じることはできるけど、それだけがすべてではない。あらすじを取り出して語ることもできるけど、それがすべてでもない。小説や詩歌を要約などできない。

もう一度、じっくりゆっくり読みたい本でした。
そして後藤明生については国書刊行会が叢書出していることを知ってしまった。装丁は川名潤だし挿画はタダジュンだし、きっと遠からず買うことでしょう……。