好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』(桝田啓介 訳)を読みました

前々から噂には聞いていたものの未読であった『バベットの晩餐会』を読みました。表題作と『エーレンガード』の二本立ての短篇集です。ちなみに映画は観ていません。

舞台はノルウェーフィヨルド山麓の村。敬虔なルター派信者として慎ましい生活を送る中年姉妹が、亡き父である監督牧師の生誕百年の記念日を祝うささやかな集まりを催すことになる。姉妹のもとではパリから亡命してきたバベットという女性が家政婦として働いており、富くじで1万フランを当てたばかりだった。バベットは記念日の集まりで本物のフランス料理を振る舞わせてほしいと申し入れ、田舎ではお目にかからないような様々な食材を取り寄せる。思わぬ展開に贅姉妹は慄き恐れるが、ディナーは大成功、満ち足りた気持ちで人々は帰路につく……というのが主なあらすじ。

「たったいちどの口づけとひきかえに、自分の人生をこうしてふいにしてしまったというのに、あの口づけのことをまるでなにひとつ覚えていないとは。ツェルリーナにキスをしたのはドン・ジョバンニなのに、その償いをアシーユ・パパンがすることになるとは。これが芸術家の宿命なのだ」(P.24)

文学作品にネタバレも何もないので言ってしまうと、バベットは富くじで当てた1万フランをすべてはたいて、最高のフランス料理のフルコースをふるまったのでした。ノルウェーフィヨルド山麓にある鄙びた村で、質素倹約を旨とする人々に、12人分1万フランのカフェ・アングレのディナーを。純朴な招待客たちの中で、ただ一人、パリの華々しい記憶を持つロレンス・レーヴェンイェルム将軍だけが、そのディナーの真価に気づいていた。贅沢は素敵だ。

繰り返されるモチーフだとかロレンスの葛藤だとか見どころはいろいろあるのですが、小説としての面白さのひとつとしてバベットの格好良さは外せないと思う。偉大なる芸術家バベット、宵越しの金は持たない主義。降って湧いた金をすべて注ぎこみ、清貧を徳とする家庭で一夜限りの贅を尽くした晩餐会を開き、深い満足を覚えこそすれ後悔は一欠片もない芸術家。格好いい……!! 彼女は自分の快楽のために、恩義のある姉妹とその無垢な友人たちを利用した。だって芸術家だもんね。

結局のところ、何に重きを置くかということなんだろう。
命は大事だ。あらゆるものに先立つ。しかし大事な命を張って思想を守ることに重きを置く人たちもいる。正義を貫くためなら血を流すこともある。
バベットはコミューンの支持派だったけど、コミューンの思想よりも彼女は彼女の芸術に重きを置いていた。それは善悪を超越したものだ。彼女は自分にとって何が大事なのかをよく知っていた。そこがすごく格好いいのだ。一般的には賢い金の使い方ではないかもしれないけど、私はそういう人生のほうが好きだ。賢さなんて捨ててしまえよ、好きに生きろよ。すべて失ったって、構うものかよ。キリギリスなんてつまらないだろ。お前にできるのか、と言われるとちょっと自信ないんですけど、そういうことができる人間になりたい、という憧れは多分小さい頃からずっとある。

慎ましき姉妹は善人だけれど、芸術家ではないのでバベットのことを根本的に理解できない。姉は大金を一晩でドブに捨てるような真似をしたバベットを恐ろしく思う。妹は記念日のディナーに私財をなげうった(ように見える)バベットに感謝と同情を与えようとするけれど、すげなく拒絶されてしまう。妹は昔いちど芸術家になりかけたけれど、恐れをなして逃げ出したくちだ。妹は、芸術家になるには強欲さが足りなかったのかもしれない。

「あのかたがたはわたしの、そう、わたしのものだったのです。あのかたがたは、おふたりにはまるで理解することも信じることもできないほどの費用をかけて、育てられ躾られていたのです。わたしがどれほどすぐれた芸術家であるかを知るために。(後略)」(P.93)

バベットは格好いい、けれど見方によっては悪魔のようでもあり、しかしそれが芸術のひとつの側面だ。イサク・ディーネセン、あなたは芸術家だったのか。書くためにすべて利用したのか。著者は女性だけど、英語で小説を書く時は男性名のイサク・ディーネセンを使い、母語デンマーク語で書く時は女性名のカレン・ブリクセンで書いたという。英語版もデンマーク版も彼女自身が書いているけど、同じ小説でも大きな違いのある箇所もあったという。不思議な人だ。

用意された小道具が効果的に使われているんだろうなぁとは思うのですが、全部を読み取れてはいないだろう確信はある。そもそも私は北欧の歴史に疎いのだ。行ったこともないし。ただ、作品では具体的な年月がしっかり書かれているのが気になりました。バベットがパリからノルウェーの辺鄙な田舎に亡命してきたのが「1871年6月」なのはパリ・コミューン革命の成立と崩壊に合わせているのはまぁいいとして、監督牧師の誕生日が12月15日と決められているのは何故なのか。1871年から14年後の設定なので1885年のはずだけど、何かの日なのだろうか。そもそも何故14年後なのか。だれか論文書いていそうだなぁ。

あと『バベットの晩餐会』とあわせておさめられている『エーレンガート』も強くて格好いい女性が出てくる話です。むかしむかしあるところに、というような物語調で語られるとある王子の誕生秘話。しかしメインディッシュはやはり「芸術家」だ。

 そのおばかさんはただいま自分の傑作の創作に没頭して、酔いしれたようになっている芸術家なのです。食事や休息などにはおかまいなく、預言者エリアが鴉から滋養を与えられたように、彼は翼をつけた霊感によって滋養を与えられているのです。(P.160)

イサク・ディーネセン、不思議な人だ。『アフリカの日々』も読まねばなるまい。