好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

岸政彦・柴崎友香『大阪』を読みました

大阪

大阪


私が生まれたのは大阪市内のとある病院ですが、物心つくまえに引っ越してしまったので、大阪の記憶はない。私にとって大阪というのは、母親が生まれ育った街であり、両親が出会った街であり、滅多に会わない叔母が住む街ではあるけど、正直ぜんぜん馴染みのある街ではない。土地勘もない。でもまぁ、買っちゃいましたよね。岸政彦も柴崎友香も好きだから。

「はじめに」で岸政彦が書いているところによれば、岸政彦は1987年に大学進学のタイミングで大阪にやって来て、そのままずっと住み続けている人。そして柴崎友香は大阪で生まれ育って、2005年に大阪を出て行った人。二人が雑誌『文藝』にて「大阪」にまつわるエッセイを交互に書いていた連載をまとめたのが本書です。

結論から言うと、すごく良かったです。大阪という土地の魔力がどこまで働いているのかわからないけれど、書いているのが岸政彦と柴崎友香であるということの魔力はすごく大きいと思う。何を書くかというのは、つまり何を見ているかということに直結するものだ。そして、この二人が見つめているものが私はとても好きなのです。

 でもたぶん、大阪で生まれ育って、ここが地元だったら、私は東京あたりの、別の街に逃げていただろう。私は十八で名古屋から脱出して、大阪に来た。私は大阪に、「出て来た」のだ。もし大阪で生まれ育ったとしても、その地元はおそらく、女たちが殴れられ、泣かされ、働かされ、ただ我慢を強いられる街だったに違いないし、すこし「進んだ」考え方を持った子どもや、塾にも行かずにただ家にこもって本を読んでいるような子どもは、からかわれ、罵られ、仲間外れになるような街だったに違いない。(P.25-26、岸政彦「地元を想像する」)

 中学の後半からやっと、自転車で心斎橋に行ったり、電車やバスで梅田に出たりできるようになって、ようやく、わたしはこの街に居場所があると感じたし、それ以降は、夜に賑やかな路上を一人で歩いているときがいちばん心が安らぐようになった。
 今でもそうで、それは新宿でも渋谷でも、同じだ。旅行で訪れたニューヨークでもそう感じた。
 だから、わたしにとって「この街」がたまたま大阪だっただけで、他の場所で育っていたらそこが「この街」だったかもしれない、と思う。
 しかし、そうだとしても、わたしには「大阪」が「この街」だった。(P.43-44、柴崎友香「港へたどり着いた人たちの街で」)

二人が長く暮らした街である「大阪」、別にそれが「大阪」じゃない世界もあり得たかもしれないけど、この世界ではそれが「大阪」だったというのは不思議な感じだ。それが私にとっては自分の出生地でありながら何の記憶もない土地であるというのが余計に変な感じがするのだけれど、べつにそこに特別な意味はないのである。たまたまそうだったということが良いのだ。
郷土愛とか愛国心という言葉は好きではないし、私は私の地元(幼稚園から高校まで住んでた場所)にそこまで愛着もない。それでも私たちは肉体をあちこち移動させながら生きているので、暮らした街というのはそれなりに身体に馴染むものなんだと思う。治安のあまりよくない地区に親に内緒で遊びに行ったこととか、塾の帰りに寄り道をして遅くなって怒られたこととか、電車通学になってからはわざとターミナル駅で乗り換えて構内を無意味に歩き回ったこととか、大阪と全然関係のない自分の地元のことをぼこぼこ思い出した。そういう風に、自分のことをいろいろ思い出す本だった。

読んでいてしんどかったところもある。しんどかったというのは、不快だったというのではなくて、図星だからつらいという種類のもの。岸政彦パートの「あそこらへん、あれやろ」だ。在日コリアン被差別部落の人に対する差別の話。これがあってこそ、この本が良いものになっているという箇所のひとつなんだけど、しんどいものはしんどい。

 大阪に住んでいると、いろんなひとがいろんなことを言うのを聞く。
 二〇〇九年ごろに、大阪市内のある被差別部落に調査に入ることになって、ある夜、近くの大きな駅からタクシーにのってその地名を言ったら、そこはちょっとした盛り場にもなっていて、特段マイナーな地名でもなかったのだが、そして運転手もまだ三十代か四十代の若い感じのひとだったのだけれども、彼は小さな声で、「あそこは普通のひとが行くとことちゃいますよ」と言った。(P.117-118、岸政彦「あそこらへん、あれやろ」)

日頃は親切で温厚なひとが、唐突に声を潜める瞬間。残念ながら大阪に限った話ではない。それは差別しているという意識を伴わずに発せられる言葉であることがほとんどだと思う。統計データをもとにした悪意のない助言。あなたはこっち側のひとだと思うから言っておくけど、というニュアンスを行間に潜ませて。多分そういう黒いもやのような親切心が、学校の教室の一角に現れたりするのだろう。近づかない方がいいよ、と。そしてそういう経験が、世の中をうまく渡るための処世術として学ばれるのだ。道徳の時間とはまた別の、現実世界の生き方として。大人になるということが、そういうことであるかのように。
そして何より恐ろしいのが、こういう話を読んで「うわっ」と思う私自身が、ほかならぬ私自身が、きっと自分では気づいていないところで似たようなことを誰かに対してやっているんだろうな、ということだ。自分では差別だと思ってもいないような部分で誰かを踏みつけているようなことがきっとあって、それに自分は未だに気づいていないだろうというのは、恐怖だ。なるべく気を付けるようにはしているんだけど。


とはいえ一応生まれた土地ではあるので、一度くらい住んでみたいものだという気持ちはある。しかし大阪、景気悪いんですよね。うちの会社も関西支社があるので「異動したいです!」と言ってはいるけど、コロナ禍の影響もあって転勤のチャンスはしばらく無さそうです。
最近の景気の悪さについて柴崎友香が書いていたことが印象的だったので、少しだけ引用しておく。

 ここ何年も、個人商店や路地的な場所の小さな店がなくなることについて、考えている。あるいは、公園や公共施設が「無駄」とされ、金を稼げる商業施設に取ってかわられていくことについて。それは東京でも大阪でも、どこでも起こっている。つまり、時代の変化、ということかもしれない。
(中略)
それでも、個人商店や商店街の細々とした店がすっかり失われることは仕方のないことではない、と渋谷の新しいビルのエスカレーターで移動しながら思った。
 ここではわたしたちはただお金を使う側にしかなれない。もしくは、大企業の労働者になるか。くっきりと、お金を使う側と、お金を儲ける側が分かれてしまって、そのあいだの流動性はどんどんなくなっていく。お金を使わなければ、居場所がなくなる街になっていくということ。(P.192-193、柴崎友香「大阪と大阪、東京とそれ以外」)


スカイツリーができた時、直結する建物に割と大規模な商業施設がオープンしたことに非常に興ざめしたことをここに告白します。理屈はわかるのだ。展望台を作るなら観光客も来るだろう。でもさぁ、ちょっと金の臭いが強すぎませんか。別に金儲けが罪悪だと言うわけじゃないけど、なんかちょっと、はしたないよな、と思ってしまうのでした。うーん、やっぱり私は金儲けを意地汚いと思ってるんだろうか……


何の記憶もない街ではあるけど、何の縁もない街というわけではないので、それなりに気になる街ではあるようだ、ということを、この本を読んで改めて感じました。読んでよかった。正確には、私の好きなこの二人の文章で大阪についての話が読めてよかった。
大阪万博は2025年の予定ですが、どうなるのでしょうね。そのころには世界も今より落ち着いているだろうし、見たことないようなものを出してきてほしいなぁ。