好物日記

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ジョン・ウィリアムズ『ブッチャーズ・クロッシング』(布施由紀子 訳)を読みました

ブッチャーズ・クロッシング

ブッチャーズ・クロッシング

人生初のジョン・ウィリアムズ作品、じっくりゆっくり読んでいましたが、ついに読了しました。ジョン・ウィリアムズといえば『ストーナー』なのは知っているのですが、なんとなくあれは最後にとっておきたいので未読です。『ブッチャーズ・クロッシング』は、以前に神保町まつりで入手しました。いやぁ、良かった……。
帯に雪山の話と書かれてたので、寒い時期に読もうと思って、ついにこの冬に読み始めた。小説の冒頭では主人公らしき人物が暑さで汗をかいていたのであれ? と思いましたが、読み進めるとちゃんと寒くなったので良かった。

タイトルのブッチャーズ・クロッシングというのは、アメリカ西部の架空の町の名前です。ひとりの若い男性が駅馬車に乗ってその町へ向かうところから小説は始まります。時代については明確に書かれていないけど、車など無く馬や牛やラバで移動する時代、ホテルに泊まってお湯を頼むとバケツで運ばれてくる時代、バッファローの皮が高く売り買いされた時代であることが読んでいるうちにわかってくる。この情報の出し方がスマートで良い。初のジョン・ウィリアムズでドキドキしていましたが、すごく描写が丁寧ですね。映像的で、情景が目に浮んでくる感じ。文字を追いながらニヤニヤしてしまった。

主人公の若い男性はアメリカ東部のいいとこの坊ちゃんで、西部の自然に飛び込めば世界の真髄が理解できるんじゃないかと、何か素晴らしい自分になれるんじゃないかと思っている。そして叔父の遺産を懐に、父の知合いを頼ってやって来た先が、バッファロー狩りの猟師が集う小さな町、ブッチャーズ・クロッシングです。
丁寧な描写だなと感じたひとつは、父の知合いから「ほかの猟師よりまし」と紹介されたミラーという猟師に会うために酒場を訪れる場面。

 通りには、ブッチャーズ・クロッシングの数少ない建物の出入り口や窓から黄色い光が投げかけられ、いくつもの長い影が伸びていた。ホテルの向かい側にある衣料品店では、明かりがひとつだけともっていて、大柄な男が何人か、その光の中を動きまわっている。影のせいで、その巨体がさらに大きく見えた。隣りのジャクソン酒場からは、もっとたくさんの光があふれていて、笑い声と重い靴音も聞こえてくる。その前の歩道から十フィートばかりの場所に設けられた粗削りの柵には、馬が数頭、繋がれていた。馬はじっとしているが、絶えず動く光がその眼球や腹のなめらかな毛を時折、輝かせていた。通りの先、ダッグアウトの向こうの貸厩舎の前では、柱にランタンがふたつ掛けてあった。貸厩舎の隣りの鍛冶屋からは、くすんだ赤い光が漏れ、鉄を鍛える槌の重い響きと、熱した金属を水に突っ込む瞬間の、シューッという怒ったような音が聞こえてくる。アンドリューズはジャクソン酒場をめざし、のんびりした足取りで通りを斜めに渡った。(P.24)

この感じ!! アンドリューズ(主人公の名前)が泊まっているホテルを出て、向いの酒場に入るために道を渡るその一場面のためにここまで言葉を尽くして情景を描写してくれるところが嬉しい。電気のない時代、真っ暗な町で目に入るのは光。その光の場所と、その光が照らすものと、アンドリューズが目にしたものが一つずつ描かれていく。カメラの動きですね。実に良い。おかげでアンドリューズが目にしているものを具体的に思い描くことができる。
酒場に入ったあとの描写も良いし、昼間にこの町に到着する前のアンドリューズを描写した場面も良い。丁寧で、誠実な文章でした。

そしてこの丁寧な文章はこの後もずっと続いていく。大自然というものをまるで知らないアンドリューズが、ミラーたちに連れられてバッファロー狩りに出かける間も。アンドリューズが目にする、身体全体で感じるものがしつこいくらいに丁寧に描かれる。特にバッファローの群れに行き当たってミラーが狩りを始める場面や、アンドリューズが初めてバッファローの皮を剥ぐ画面、子牛をさばこうとして失敗する場面なんかは実に読みごたえがありました。

バッファロー狩りに向かうメンバーはアンドリューズを入れて4人です。なにかにつけて「おれの言うとおりにしろ」と口にするリーダーの猟師ミラー。そんなミラーに縋るように常に一緒に組んで仕事をするの御者のチャーリー・ホージ。チャーリーは凍傷で片手の手首から先がなく、常に聖書を持ち歩いています。そして何かにつけてミラーと対立し冷やかな雰囲気を作り出すのが皮剥ぎ職人のシュナイダー。シュナイダーは「自分のことは自分でやる」がモットーなので、「おれの言うとおりにしろ」なミラーとは相性が悪いのだ。この癖の強いパーティがまた、この小説の味を深くしている。
最初はミラーが実に頼りになる男に見える(何かにつけて自信ありげだし)んだけど、道に迷って水が足りなくなる辺りでちょっと雲行きが怪しくなる。この男の「大丈夫」は大丈夫じゃない時もあるのでは? そしてバッファローの群れを昏い目つきでひたすら虐殺しにかかるところで気付くのだ。この男は、この時代に猟師としてしか生きられないタイプの奴だ。そしてがさつなノリでインテリのアンドリューズにちょっと引かれていたシュナイダーが、ぶつくさ文句ばっかり言う怠け者かと思っていたら、やるときはやる男なのでだんだん株が上がっていく。ちくりちくりとミラーを指していく言葉の正しさよ……。省エネタイプで欲をかかず、着実なところで足るを知る男だ。それはそれで、ありだろう。こういうタイプ、職場にいるよなぁ。

そして以下は、小説の結末に触れているので隠しておきます。彼らの狩りはどういう結末になるのかはぜひ読んでご確認ください。




ではここからは結末に触れていきます。未読の方はご注意ください。


雪に閉ざされて過ごすときの精神を壊さないためのあれこれもすごく面白かったし、ミラーの指図を断ってもちゃんと生き延びて見せたシュナイダーに「おっ」と思ったりしたのに、そこでそうくるか!!! あれはちょっと予想していなかった。そう来たか。シュナイダーはどこかで死ぬんじゃないかと確かに思ってはいたけど、雪山を生き延びたからいけると思ったんだけどな……しかしミラーはほんと、おいおいおいと言いたくなる。訳者あとがきで、ミラーはベトナム戦争当時(この小説が発表された頃)のアメリカだという指摘があったと書かれていたけど、そうなんだろうな。バッファローを最後の一頭まで殺さないと気が済まないところとか、ちょっとどうかしているような雰囲気とか。目的を見失って取り憑かれたように行動しながら、自分では自分をまともだと思っているらしいところとか。シュナイダー、ミラーに目を付けられてこの狩りに引っ張り込まれなければ、もっと長生きしたかもしれないのにな。

そしてこの小説はアンドリューズという青年の成長譚です。狩りに出る前にフランシーンから逃げ出したところで、帰ってきたら無事に男として勤めを果たすんだろうなとは思っていたのですが、思ったよりも違う感じだった。というか、この小説自体がそういうトーンなんですね。経験値の高い男たちに連れられて狩りという男性的な儀式に参加して、獣を殺してその皮を剥いで、雪山に閉じ込められたり喉の渇きに苦しめられたりと数々の苦難を乗り越えてようやく手に入れたものは、虚無。人は簡単に死ぬし、金が手に入るはずだった大量の皮の値段はあっという間に暴落する。大枚をはたいた冒険の末、手元には何も残らない。
とはいえ、虚無を手に入れたということと、何も手に入らなかったというのは、違うことだ。何もないという境地にやってきて初めて、アンドリューズの人生は始まるのだ。これから彼はようやく、彼自身の意思で生きることになる。代償は大きかったけど、そんなに悪くないみたい。誰かの言うことを鵜呑みにして小金持ちになるよりも、よほど生きてる感じがするだろう。


訳者あとがきによれば、『ストーナー』も『アウグストゥス』はこれとはまた全然違う小説らしい。やっぱり『ストーナー』はトリに残しておきたいから、次に読むのは昨年邦訳が出たばかりの『アウグストゥス』かな。ゆっくりじっくり読もうと思います。