好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

酉島伝法『るん(笑)』を読みました

るん(笑)

るん(笑)

酉島伝法の新刊とあらば買わないわけがない。しかし言霊が強くてしんどかったので、休み休み読みました。
もともと酉島伝法の本はすらすら読めるものではないのだけれど、今回は特に、じりじりとにじり寄るような感じで遠巻きに様子を見ながら読んだ感じ。しかし読まないという選択肢はないし、読んでよかった!

だいたいこのカバーからして凶悪です。何なんだ、この目がチカチカする水玉模様は! 私は普段本を読むときはカバー外す習慣があるんですが、今回はカバー外したら外したで壁紙っぽい花柄模様で……なんだかとっても落ち着かないので、書店で掛けてもらったカバーを着けたまま読みました。表紙をめくった見返し部分のチェックも、その左のタイトルページの水玉も、目次の次ページの自己主張の強いタイトル部分も、すごい圧を感じる……。
でも、このデザインがまたこの本に合っているというのがなんか悔しい。普通の小説だったらこの装丁に内容が負けてしまいそうだけど、今回は内容が濃いから充分張り合える。むしろ内容が濃いがために、装丁もそれにあわせて濃くせざるを得なかったのかもしれない。この何とも言えない(笑)の圧も怖い……。装丁と文字との両方で迫ってきて、逃げ場がない。


というわけで内容ですが、連作小説集となっていて、中編くらいの長さの小説がが3つ入っています。
いずれも、俗信と迷信が生活の基礎をなし、科学的であることが極端に軽視される世界の話。すべての話に共通して登場するのは「川北真弓」という、この世界では一般的な価値観をもつ女性です。冒頭の『三十八度通り』では語り手の男性の妻として、『千羽びらき』では語り手の老女の娘として、『猫の舌と宇宙耳』では語り手の少年の叔母として。

この作品での「俗信と迷信の世界」というのがどんなものなのかは、多分読んだ方が早いでしょう。

「さっき馬奈木さんとすれ違ったんだけどさ、どこまでも無愛想で、変わりもんだわ。絶対B型だね」と谷口さんが言い、「絶対そう。きっと母乳で育てられなかったんだよ。やっぱり大学院とか出てるとね、あれよね。肝心なところが」と岡林さんがなぜか興奮して声を上擦らせる。
「そういや、あんた、旦那さんのご容態は?」藤巻さんが谷口さんに訊ねる。
「かわりないですよ。あれだけ牛乳は飲むなって言ってるのに、まだやめない。家畜の仔が飲むためのものを、人間が飲むだなんてぞっとするでしょ」
(中略)
「このあいだなんて、あたしに隠れて肉を焼いて食べてたのよ。しかも未除霊のを」
「信じられない、安楽のでもないんでしょう? 動物の恐怖が残存したままじゃない」
「ほんとばか。においでわかるっていうの」(P.24、『三十八度通り』)

こんな感じです。

こんな世界嫌だー! と思いながら最初は読んでいたわけですが、冷静になるにつれて気づかないわけにはいかない事実がある。そうはいっても我々の世界は多かれ少なかれこういう認識で回ってるとこあるよね、ということです。
例えば「手書きの文字のほうが温かみがある」とか「手作りのものには気持がこもってる」とか言うのだって、突き詰めれば「これ、職人が断食を重ねて手練りしたものらしくって、フラーレン形のヒマラヤ水晶の粉も入っているからよく効くのよー。」(P.38、『三十八度通り』)というのとどう違うのか。どこに線を引くのか。そしてどこまでがセーフで、どこからがアウトなのか。

多分、人は科学だけでは生きられないのだ。いや科学だけで生きられる人もいるんだけど、大多数の人はそれだけでは無理だろう。生存はできても、暮らしはできない。「やっぱり直接会って話したいよね」「年賀状送るなら一筆コメント欲しいよね」とか、人との繋がりというやつをどうしても求めてしまうものだと思う。それは一種の弱さでもあるけど、それ以上にホモ・サピエンスたりうる要素の一つでもあるから、多分種が滅びるまで捨てられないだろう。ITがどんなに普及しても対面で会うのを人は止めようとしないし、工業品の品質が向上して一ミリの狂いもない既製品を産み出すようになっても、歪みやズレのある不安定な一点モノに価値を置いたりする。
斯くいう私だって絆とか愛とか言われると反射的に警戒して身構えるけれど、そういうものが一切ない世界を望んでいるわけでもない。ではどこからが過剰で、どこまでがセーフなんだ? 絆とか愛とかいう言葉であふれた世界を心地良いと思う人もいる。そういう人と私が同じ世界で共存するには、閾値をどこに設定すればいいんだ?
おそらく私が快適と感じるような絆パラメータで設定された世界は、他の誰かに我慢を強いるものになるだろう。同じように、他の人にとってちょうど良いと感じられる絆パラメータは、私には窮屈かもしれない。誰にとっても幸せな世界なんてないのだから、お互いに妥協して、なるべく棲み分けたりして、不快を減らす工夫をして共存していくことになる。それ以外の方法としては相手を完全に排除するというのが考えられるけど、21世紀以降はそういう時代じゃないって信じているから。(この「信じている」というのも十分曖昧な概念である)

しかしなぁー、とはいえこの世界には住みたくないな。酉島伝法、よくここまで過剰な世界を考えたな……。

ちなみに読んでて一番しんどかったのが『千羽びらき』でした。「黙っていてほしかった」(P.155) のところが、もう悲しくて。やっぱり善意ってのは諸刃の剣なのかな。あぁ、人間ってのはまったく!! それでも「良かれと思って事故」みたいなものはきっと、どんな世界でも形を変えて存在するんだろう。
あと『千羽びらき』の、世界が変容していくのが字面で感じられるホラーっぽさがすごく良かった。


酉島伝法、今回も破壊力抜群でした。読むのにかなり体力・精神力が必要だったので、体調を整えて少しずつ読むことをお勧めします。