好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 10』を読みました

父親のお下がりの文春文庫の古い版で読んでいる『昭和史発掘』10巻を読み終わりました。ISBNがついていなくて、新版は収録内容が違うので、リンクは貼っていません。

さて10巻なのですが、とうとう二・二六事件決行の朝にたどり着きました。
内容は以下の通り。

二・二六事件 四
・襲撃
・「諸子ノ行動」

第九巻では決行の前夜まで話が進んでいました。第十巻では、何も知らされていない兵士たちが非常呼集で起こされるところから始まります。襲撃の一斉開始時刻が午前五時と決められており、部隊ごとに担当が割り振られていたので、目的地との距離に応じて起される時間も営門をでる時間もちょっとずつ違う。
襲撃の標的となった個人は岡田首相、鈴木侍従長、斎藤内府、渡辺教育総監、高橋蔵相。この中で岡田首相と鈴木侍従長だけは生き延びました。

第九巻で書かれていた通り、決行の日時を知っていたのは隊を率いる一部士官のみでした。そのため何も知らない兵士たちは当日は訓練のつもりで営門をでて、よくわからないまま襲撃メンバになっていたというのが実情だったようです。以下は、歩一第十一中隊の元軍曹の話。

「その晩、突然起された。だれに起こされたかおぼえていない。午前二時半ごろだったかもしれない。将校室に行くと、香田大尉、丹生中尉のほかに知らない将校が二人いた。未知の将校二人については香田大尉か丹生中尉かが『これが村中大尉』『こちらは磯部一等主計』というぐあいに紹介した。村中さんと磯部さんとはこもごも『どうぞよろしく』といった。
 それから何か刷り物を読み聞かされたが、それが蹶起趣意書だとはあとで分った。その場ではどういう内容だかよく分らないうちに読むのが終り、こっちはハトが豆鉄砲をくったような感じだった。丹生中尉が読んだように思う。とにかく、わけの分らないうちに事態が進んでいった。われわれ下士官は拳銃と実包とを渡された。(P.17)

軍曹レベルでこれである。いわんや一兵卒をや。ちなみに村中も磯部も、しれっと肩書付きで紹介されているけど、退役しているので一般人だ。

本書ではいろんな立場のいろんな人の談話が登場するのですが、何も知らずに隊列を組んでどこぞへ向かい「これから○○を葬る」と宣言された兵士の感想は軒並み「これは大変なことになった(P.36)」「これはエライことになった(P.36)」という感想を言っている。しかしそうとしか形容できないんだろうな。ものすごくリアルだ。すでにもう隊列は組まれているし、そのまま進むしかないよな。しかも命令第一の軍隊で、上官の言葉だものな……行かないなんて選択肢などない。
とはいえ現代の給与所得者からしても、悲しいことに、こういう空気ってすごくよくわかるところがある。例えば会議でエライヒトたちが発表するスライドなんかを見ながら「うわ、なにこれ」などと思うこともあるんですが、そのままその方針で会社は進んでしまう。だって発表された時点ですでにお金も話も動いていたりするし、今更だ。
一般社員が「えっ」って思うことって、実際ものによってはニュース沙汰になりうることもある。でも中にいると麻痺しちゃうんですよね。大人になって分ったことの一つだけれど、アウトの線を引くというのはとても難しいのだ。ニュース沙汰になったり炎上したりすると「誰か止めなかったの」って思ったりするけど、止めるって本当に難しいことだと思う。
とはいえ、だから仕方ないという話がしたいんじゃなくて、だからこそ線引きする基準を自分でしっかり持っておくべきだということが言いたいのだ。止めなかった人になるのが自分かもしれないというのが、私はとても怖い。普段から割と好き勝手言っているほうではあるけれど、本気でNOという時になったらちゃんと行動できる人でありたいと思います。気を付けよう。

話が逸れた。本の話に戻りましょう。

「襲撃」の章ではそれぞれの官邸での様子などが資料や談話からしっかり書かれていて、とても読み応えがあります。そこはまぁお読みいただくとして、興味深いのは襲撃が終った後の話。
中橋中尉の宮城での不審な動きなども非常に面白いんですが、事態を知った川島陸相の狼狽ぶりが頼りなさすぎてちょっと笑ってしまった。しかし逆に、この時の陸相が川島でよかったと松本清張が書いているのですが、彼の文章の上手さも相俟って、言われてみれば確かにそうかもと思う。

「蹶起部隊を義軍か賊軍か速かに決定せよ」という山口の発言は注目してよい。この決定が遅れると中央部が体制を立て直し、決行部隊を「賊軍」にきめつけてしまうおそれが十分にある。山口だけでなく、この不安は決行将校の全部にあった。情勢の有利なうちに「義軍」として認めさせ、公式にこれを発表させたい。強制は、早いほどいいのである。
 川島陸相は、ここでグズの本領を発揮した。彼は当惑をするだけで、相手に何ら言質を与えなかった。自分一人では何とも決定はできないといった。問い詰められると「勅許」で逃げた。この交渉は午後一時までかかった。日ごろ定評の優柔不断が意外なところで役立ち、時をかせがせたのである。
(中略)これが決断力のある陸相だったらその決断力によって自己が失敗していたろう。また腕の切れる陸相でも、この場に限って煮え切らずにいたら、決行将校の憤激を買い、不測の事態になったかもしれない。グズの川島の功徳である。(P.201)

決行部隊として何よりも恐ろしいのは、賊軍と見做されることです。しかし天皇はこの事件について話すとき、早々に蹶起部隊を「叛乱軍」と呼んでいたのでした。この時点でもう、蹶起部隊に勝ち目はない。

蹶起部隊の敗因はいろいろあるけれど、蹶起後の道筋が誰にも見えてなかったこと、道筋の計画があまりにも他人任せだったことが一番の敗因だろうと思う。理想に燃えた若者のヒロイズムでしかなかった。だって、すごく独り善がりだもんな。
蹶起部隊からすれば「奸臣に囲まれた天皇の霧を晴らすのだ!」みたいな気合があったわけだけど、天皇からすれば余計なお世話だったわけだ。そして蹶起部隊らは天皇を非難できないという縛りがある。いろいろ理屈をつけて頑張ったけど、負けだったのだ。
現実に農村では無辜の民が苦しんでいる。しかし表立って天皇を「間違ってる」とは言えない。その状態でどうやって現状打破するのか? というところの作戦が杜撰過ぎたのだ。彼らの理論武装には他にもいろいろ穴があったのもまずかった。もっとよいリーダーかブレインがいればもう少し変わっただろうか。しかし何もしないよりも、ちょっとでもさざ波を立てられたならやって良かったって、思っているのだろうか。

第十巻ではまだ鎮圧されていないので、まだまだ二・二六事件は続きます。