父親のお下がりの文春文庫の古い版で読んでいる『昭和史発掘』、いよいよ7巻です。
ISBNがついていなくて、新版は収録内容が違うのでリンクは無しとなっています。
前の巻からずっと二・二六事件の単語がちらついているのですが、この巻でもまだその日にはたどり着けませんでした。
いつもは3本立てですが、7巻は以下の2本立て。
目次の頭に「二・二六事件」の一という副題がついていて、この巻まるごと二・二六事件を語るための下準備であることがわかる。事件勃発の背景についてまだ語るべきことが残っているということか。
7巻は昭和10年、真崎教育総監が罷免されたところから話が始まります。罷免の原因のひとつは6巻で語られた陸軍士官事件なわけですが、もともと煙たがられていたのをこれ幸いに飛ばされたという状況でもあったらしい。真崎自身は罷免にかなり抵抗していたけれど、陸軍にいたとある宮様が真崎を嫌っていて、そのお気持ちが罷免の後押しをしたようす。そのあたりの駆け引きだとか裏取引的なやり取りも書かれていて面白かったです。とくに当時権勢をふるっていた永田軍務局長を出し抜こうとして真崎が持ち出した改造計画書のやり取りは良かった。
もちろんこういう裏舞台の事情はリアルタイムでは明かされるものではないから、不満をもつ軍の若者たち(軍の堕落を嘆き、正義感に燃えてエネルギーを持て余している)は、真崎の罷免は永田の差し金であると誤解していました。そして軍の堕落を憂慮した(と自称する)ひとりの朴訥とした中年軍人が、永田を刺殺するという事件が起きるのでした。それが相沢事件です。
この相沢事件が非常に面白くてですね。長い紙面を割くだけのことはある。事件に至る経緯も、事件当時の状況も、その後の後処理も、どれも気になる。
相沢事件というのは下手人の相沢三郎の名前からきているのですが、同期に比べて出世が遅く、根が素直な人物だったようです。根が素直というのは誉め言葉ではなくて、感化されやすいってことですけども。剣道の教師で、かなりの腕前だったのだとか。
このように見てくると、相沢中佐には素朴な軍人精神に固まったコチコチの隊付将校の姿が浮んでくる。田舎の連隊回りをしている中年の将校にはよく見かける型だ。剣道が強くて、一本気で、融通がきかない。礼儀は正しいが上官に対して愛嬌も社交性もない。無口で、全身これ忠君愛国の軍人精神に燃えている。武士道を遵奉しているが、近代的な素養には欠けている。家庭を愛してはいるが、皇国のためならいつでもそれを犠牲になし得る。戦闘させれば軍刀を振るって兵より先に突撃しそうだ。質素で、頑固で、熱情的である。出世とはおよそ縁のない地方将校――そういう男の像が浮んでくる。(P.56-57)
うーん、付き合いにくそうな人だな…騙されやすそうだ。悪い人じゃないというのが一番手に負えないように思う。
この人、実行前に伊勢神宮にお参りしてるんですが、ことに及んだあとの取り調べで「伊勢神宮の神示によって天誅が下ったのだ(P.80)」とか言ったりしていて、すごいんですよ。本気だったのかなぁ。本気だと思い込んでいたのかもしれないけれど。でもそういうことってあるんだろうな。
この人は、何かにすがらないと生きていくのが難しかったのかもしれない。いいことかどうかは別として、そういうことってあると思う。何が正しくて何が間違ってるかわからない状態が続くのは非常なストレスだから、答えだ!と思うものがあったら何も考えずにすがりたくなるものだとは思う。
また、当時は怪文書がかなり出回っていたという話にとても興味をもちました。陸軍内で争い合っていた各派閥がそれぞれ作りまくっていたのだとか。実物を観てみたいな。どこかの史料館にありそうだけど。
相沢もこの怪文書に書かれた内容に正義感を刺激されたようなんですが、この怪文書って今でいうフェイクニュースとかデマツイートみたいなもんなんですかね。当時の青年将校たちがツイッターやってたら…とか読みながらちょっと考えてしまった。西田税の永田攻撃ツイートとかめっちゃリツイートされてそう。
事件の取調べで語られたことなどは「軍閥の暗闘」の方に詳しく出ています。この事件が軍に与えた衝撃の大きさについても書かれているのですが、やはり怪文書の存在感がすごい。「永田伏誅の真相」という怪文書が詳しいらしいのですが、「真相」っていうのは胡散臭いけど効力のある言葉なんだろうな。巷で言われている通説とは違う、本当のことがここにだけ書かれている、みんな騙されているけど我々だけは真実を掴んでいるのだ、という優越感めいたものがちらついている。真実を知る私こそが、無知蒙昧の民を導き啓蒙してやらねばならん!みたいなひとりよがりな正義感を感じる。でもこれって誰にとっても甘い蜜だ。誰だって自分が信じたいようなキラキラしたことがまことしやかに語られていたら、信じたくなっちゃうものな。私だっていつ転ぶかわからないのだし。気を付けよう。
ちょっと意外だったのが憲兵の地位の低さです。実際に地位が低いわけではなくて、低く見られていたということですが。相沢が事に及んだあと、同じ建物に居合わせた憲兵がとりあえず憲兵司令部に連れてくるんですが、憲兵が拳銃と軍刀を預かろうとすると「武士の魂だ。不浄な憲兵などに渡すことは出来ない(P.78)」とか相沢に言われちゃうんですよ。憲兵って、そんな風に見られていたのか…
次は8巻です。そろそろ二・二六事件が起きるかな?