好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く』を読みました

松籟社の「東欧の想像力」と題されたシリーズの一冊。このシリーズは前々から気になってはいたものの、買うのは初めてでした。とても良かったので今後もチェックしたい。
書店で気になったのは、装丁がとても好みだったから。色合いこそ地味だけど、紙の手触りがとても良くて好ましい。ちょっと類を見ないくらいの手触りの良さです。本屋で見かけたらぜひ撫でてみてください。なんとなく撥水性の気配がするところが特に良くて、カバー外した表紙もシンプルで好き。

デボラ・フォーゲルのことは全然知らなかったけど、軽く目を通して「あ、これ好きなやつ」という予感がしたので買いました。ビビッと来たら買うべし。

 その日、街路が空を映した。空は灰色で温かい。空が灰色のとき、街路はいつも疲弊しながら甘い。灰色の温かい海のように。
 その日、通りに居合わせた人たちの誰もが――思いがけない出会いを求めて身を焦がした。いつかも、そうであったように。
 しまいに人びとを不器用で理解しがたい憧れが襲った。主人公の運命がこと細かに描写され、時代遅れとさえいえるような、長ったらしい小説に対する憧れ。(P.7)

本書は短編集で、ポーランド語版『アカシアは花咲く』の全訳にあたります。上記は一番目の短編『アザレアの花屋』の冒頭部分。散文なのですがとても詩に近く、執拗な繰り返しと単語のチョイスに、言葉に対する執念を感じる。同じ言葉を繰り返し繰り返し持ってくるところが、ラヴェルの「ボレロ」っぽいなと思いながら読んでいました。白紙の上に丹念に言葉を重ねていく感じ。繰り返される単語はその短編内でのみ使われるものもあれば、この本に収められた複数の短編にわたって顔を出すレギュラー的なものもありました。たとえば灰色、マネキン、人生など。全体的に流れる倦怠の雰囲気にかかわらず、作品に登場する無名の人々は、それでも足を止めないんだな。

デボラ・フォーゲルについては巻末に詳しい解説が載っているので、そこでどんな人だったのかをある程度知ることができます。裏表紙側のカバー裏に記載された略歴を読むだけでも濃い人生だ。

オーストリアガリツィア(現ウクライナ西部国境地帯)の町ブルシュティンで同化ユダヤ人の家庭に生まれる。家庭ではドイツ語とポーランド語を話したが、のちにイディッシュ語を学び、執筆言語に選択した。独立ポーランド領に入った一帯の中心都市リヴィウで教職に就き、心理学と文学を教えるかたわら、当時のイディッシュ語作家や若手前衛画家たちと交流し、文学や美術に関するエッセイ、美術展評を発表。またブルーノ・シュルツと親交を結び、彼の第一短編集『肉桂色の店』成立に大きな影響を与える。(後略、著者紹介より引用)

複雑な時代の複雑な地域でユダヤ人として生きるのって大変だったろう。彼女は1942年にゲットーで射殺されています。

本書に収められた短編のうち、私は『アザレアの花屋』が一番好みだった。4月から始まる一年を描くこの話は、1933年という特定の西暦が明記されています。ということは、この年でなければならない何かがあるんだろう。夏に登場する兵士の列も不穏だけれど、それだけでもなくって……
春が過ぎ、夏が来て、そして夏が過ぎて、秋が来る。人々は何かを待ったり、何かを決めたり、気づいたり、理解したりする。日々は過ぎていく。

 人生はそのとき、こういうふうに進んだ。誰もが知っていたわけではないが、その方向を定めたのは矩形、それは人生と灰色の冒険という英雄的なかたち。まるで、凝縮された硬い動きと甘いメランコリーの単調さに満ちた長い平面のようだ。
 しかしながらこの年、丸さという要素が許容され始めた。それは柔らかな人間の体のようなかたち、懐かしさや待つことのかたち。それは、意味のない出来事でも必要なのだという必然として現れた。
 そしてふいに、人生には幸せが必要なのだということが明らかにになる。同時に、「砕けた心」を抱える人がいっぱいいることもわかった。(P.37-38)

『アザレアの花屋』は全部で21の小さな断片に分れた短編作品ですが、何が私をそこまで惹き付けるのかと聞かれても、正直うまく説明できない。彼女が選ぶ言葉やモチーフの組み合わせが私の何かに訴えかけているからだというのはわかるんですが、何がどうだから良いのかわからない。なにかとんでもないものが背後に潜んでいる気配はするのだけど、正体がつかめない。まさに詩を読んでるときのような感じ…。出てくる言葉を分析して、図式化すれば何かつかめるだろうか?しかしそうすると零れ落ちてしまう何かもありそうで。
訳すの大変だっただろうな。訳も良いんだろうな。日本語で読めて嬉しいです。

デボラ・フォーゲルが散文の人ではなく詩の人であるというのは、なんとなくわかる。詩人の言葉の選び方だなと思うし。この本の副題に「モンタージュ」とつけてあるのも、なんとなくわかる。言葉のモンタージュって感じ。

とにかく私が伝えたいのは、この不思議な言葉の並びによって浮き上がってくるものが、なんだかよくわからないけど非常に魅力的だということです。誰かに説明してほしいような、でも分析などせずただ浸っていたいような。何が私の心に刺さったのか分からないんですが、この得体の知れない言語世界はかなり好きです。

 十月という月は、全体が銅と灰色のエキスそのものから成り、生を論じるのに特別に適しているようだ。十月は概念という灰色の領域に人を惹きつけ、誘いかける。その領域が十月特有の灰色で瞑想的な光景によく似ているからかもしれない。
 「人生を切り抜けねばならない」という、論考の平凡な命題は、この背景においてのみ可能であり、理解しうるのであり、こうした環境のもとでのみ許容できた。(P.52)

好きな部分抜き出したら作品まるまる書き写すことになってしまうので、このへんにしておこう。『アザレアの花屋』ばかり抜粋しましたが、『アカシアは花咲く』『鉄道駅の建設』もとても好きです。ほんとうに、不思議な本だった。
一語一語に向き合いながら読む本なので、時間がかかるタイプの本です。たっぷり時間のあるときを選んで、腰を据えてもういちど読もう。