好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

南條竹則・編訳『英国怪談珠玉集』を読みました。

英国怪談珠玉集

英国怪談珠玉集

  • 発売日: 2018/07/23
  • メディア: 大型本

久しぶりのブログ更新ですね。
ブログも書かずに何してたかっていうと、引きこもり生活をしていたわけですが、それで読書量がぐんと増えるわけではないのでした。むしろ美術館行けなくなって「行ってきました」記事が書けないので、更新頻度は減ってしまった。そしてまとまった時間ができたから、新しい分野の勉強始めたり、長らく中断していたプログラミングを再開したり、やりたいこといろいろあって、読書時間は減ってはいないが増えてもいない。むしろ全体的に見るとやっぱり時間が足りません。うーん、なんだかんだで充実の日々だな。健康ってありがたい。

せっかく家にいるなら持ち歩くのはちょっと…という本を今こそ読もうということで、積んでいた本書を読みました。600ページ近くある国書刊行会の『英国怪談珠玉集』、函入りってのがもう!さすが!
函デザインも美しいのですが、函から出したときの表紙の妖しさがまた素敵。目次ページのクラシカルなデザインとフォントもさることながら、本の背の上下の部分、いわゆるヘッドバンドと呼ばれる部分のおしゃれさをぜひ推しておきたい。このどこから見ても隙のない装丁は、柳川貴代さんです。この方の装丁すごく好きだ。

さて、いよいよ収録作品の話をしましょう。本書は「珠玉集」とある通り、南條さんセレクトのアンソロジーです。28名の作家による、全32篇の小説が収められている大作。
「英国」というくくりは、太陽が沈まない大英帝国だったころの領地も含んでいるため、オーストラリアやニュージーランドの作家の話も含まれています。時代はざっと見るかぎり、19世紀から20世紀あたり。
全部の作品を一覧で挙げるのはちょっと…というボリュームなので、詳しく知りたい方は下記国書刊行会公式HPでチェックしてください。函から出したときの表紙も見られるので、ぜひチェックしてください!

www.kokusho.co.jp


冒頭に配されたのはロマン派の大詩人バイロンによる未完の『断章』です。バイロンで始めるという、この配置の仕方もいいなぁ。
『断章』は、レマン湖のほとりにあるバイロンの別荘で、退屈しのぎに怪奇譚を披露しあったときに書かれたものとのこと。ここで出されたアイデアのひとつがポリドリの『吸血鬼』であり、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』なのだとか。…ポリドリの『吸血鬼』は未読だったな。読みたくなってきた。

J・S・レ・ファニュの『ロッホ・グア物語』や、フィオナ・マクラウドの『牧人』などは特にケルトの色が濃くて、英国というかブリテン諸島の神話的世界を垣間見る感じ。ええ、好きですとも。妖精物語を一枚捲って見えてくる厳しい現実の恐ろしさ。
グラント・アレンの『ウルヴァーデン塔』は描写が丁寧で、美しい映画を観ているような気になりました。ストーリーは基本に忠実な語り物という印象でしたが、ラストはどっちに転んでも王道を保てるものでしたね。私の予想とは違う方に舵を切ったのですが、しっかりまとまっていてとても良かった。

怪異は都市に潜むのか、自然に潜むのかというのは個人的に興味のある問題なのですが、本書に収められた小説の多くでは自然に潜んでいた印象です。夜の闇、茂みの陰、暗い水を湛えた川底…まだ夜が暗い時代の話だからかな。いわゆる都市伝説のように、都市が怪異を抱えるようになるのはやっぱり戦後からなのかな?日本と西洋ではまた違いそうではあるけれど。前に読んだ東秀紀さんの『アガサ・クリスティーの大英帝国』で、クリスティー作品には都市ミステリよりも田園ミステリの方が多いという指摘を思い出したりしました。誰か論文書いていそうな気もする。

また本書には複数の作品が収められている作家もいて、アーサー・マッケンもその一人。特に『N』が好きでした。

「僕はあの界隈なら隅々まで知ってるがね、言っておくが、そんな場所はないぜ」(P.194)

三人の男が集まって、すっかり変わり果てたロンドンの昔を懐かしんでいたとき、とある郊外にとても美しい公園があるという不思議な噂が話題に上る。その場所に詳しいというひとりの男はそんな場所などないと断言するが、それはそれは美しい風景なのだと…
怖いというより不思議な話で、描写の仕方が上手かったです。未知の空間に迷い込むストーリーは、戻ってこれるかどうか、どっちに転んでもいいようなふわふわした感じが好きだ。

しかし一番心にぐぐっときたのは、ラドヤード・キップリングの『「彼等」』です。ものすごく良かった。
長閑な丘が広がる田舎の道を自動車で進むひとりの男が、道を間違えて森の中の古めかしい館に迷い込む。館には子供たちがいるが、人見知りが激しいため近づいてはこない。まだ自動車が珍しい頃のこと、館の主である盲人の婦人は子供たちを喜ばせるために庭を車で一周してほしいと依頼する――。

「声が聞こえたものですから」とその婦人は言った。「それは自動車じゃございませんこと?」
「道を間違えてしまいましてね。坂の上で曲らなくては不可なかったんですが――まさか、こんなところに――」
「いいんです。わたくし、喜んでいますの。この庭に自動車が来てくれるなんて。きっと素敵な――」ふり向いて、あたりを見まわすような仕草をした。「あの――あなたはお会いにならなかったでしょうね――」
「話しかける人はいませんでしたが、子供たちは遠くから面白そうに見ていましたよ」
「どの子が?」
「さっき上の窓のところに二人いました。それから庭で小さい子の声がしたようです」
「まあ、おしあわせな方!」
婦人の顔はパッと輝いた。
「わたくしにももちろん声は聞こえますけれど、それだけですもの。あなたは姿も御覧になったし、声もお聞きになったのね?」(P.342)

この出会いをきっかけに、男はその後も度々この館を訪れることになります。そして館の女主人のことや、人見知りする子供たちのことがだんだん明らかになって……あぁもうこれ以上は言えない。

あらゆる優れた怪奇小説の根底に寂しさがある、というのを改めて感じました。怪談で語られるのはおぞましい化け物であったり、人を死に至らしめる幽霊であったりするけど、その最初の小さな種は、誰もが持つ「さみしい」というぽつりとした気持ちだったりするのだ。
なお本篇の冒頭に「子供たちの帰還」という詩が載せられています。これは本来独立した詩だけれど、キップリングの短編集『往来と発見』でこの小説の前に掲載されていたので、今回は題辞のような形で収録したとのこと(解題、P.574より)。

いやしかしほんと、この『「彼等」』はものすごく刺さりました。仄めかし方がすごく好み。一度読み終わってもう一度読み返すと、何度も小さく叫ぶことになる。あぁ…
特に結末部分が素晴らしかったです。ラスト4ページ、364ページ後ろから8行目から最後までの、この部分の威力が凄まじい。なんだこれ。そして最後10行がクライマックスだった。たまらないですね…

他にもいろいろ収録されているけど(なんせ32篇入りだ)、全部コメントするときりがないのでこの辺りにしておきます。来るぞ、来るぞ、来たー!というような形式美が魅力のものや、ユーモア怪談的なものなどバラエティに富んでいて、どれも楽しめました。情景の美しい話が多くて嬉しかったです。本自体は分厚いけれど一つ一つは短編だし、夜な夜な少しずつ、楽しく読みました。読み終わってしまい、少し寂しい。
しまった、寝る前に読んじゃったよー!という時もあったけど、でもやっぱり、怪談読むなら夜ですよね。