好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ハラルト・シュテンプケ『鼻行類 新しく発見された哺乳類の構造と生活』を読みました

ずっと読もう読もうと思って積んでいたのですが、そろそろいいかなと思って読みました。これが噂の鼻行類か…!!
訳は日高敏隆と羽田節子です。日高敏隆のエッセイを何冊か読んでいて、彼の考え方が好きだったので、ようやく読めて良かった。

鼻行類とは何か。それはハイアイアイ群島で1941年になって発見された新種の哺乳類です。

鼻行類は哺乳類の特殊な1目とみなされており、有名な専門家ブロメアンテ・デ・ブルラス(BROMEANTE DE BURLAS)がその研究者である。鼻行類という名前がまさに示すとおり、その共通の特徴は鼻が特殊な構造をしていることである。(P.15)

日本軍収容所から脱出した捕虜がハイアイアイ群島のひとつに漂着したことでその存在が初めて世界に知られることになったという、極めて稀な新種発見パターンです。この時代に新種の哺乳類が発見されるとは!!鼻が発達というとゾウをイメージしますが、もっと違う発達の仕方でした。
発見者はスウェーデン人のエイナール・ペテルスン=シェムトクヴィスト。前述のとおり、彼は日本軍の捕虜収容所から脱走してハイアイアイ群島の中の島のひとつに漂着しました。その島はハイダダイフィ島。当時はフアハ=ハチと称する先住民がいたようですが、シェムトクヴィストの持ち込んだ流感によって滅んでしまったのだとか。

そんな噂の新種の哺乳類とはどういうものなのか、というのをこの本では体系的に紹介してくれています。私は生物学の知識はほぼゼロだし、目とか属とか、学名に使われるラテン語とかもよくわかりません。でも「鼻行類」を細かいグループに分類したうえで、各グループの代表的な種について図と共に丁寧に生態を紹介してくれているので、面白く読めました。やっぱりイラストがあるとイメージしやすいですね。

鼻が特殊である、というのは前述のとおりなのですが、どう特殊なのかというと、鼻が複数あったり、鼻を使って移動したりするのです。しかもある種は植物に擬態したりして…本当に、鼻行類のなかでも鼻の活用方法は多岐に渡ります。うまく説明できないし、全部説明するわけにもいかないので、詳細は読んでいただくとして、ここでは個人的にお気に入りの鼻行類、トビハナアルキについて紹介いたしましょう。

硬鼻類には、鼻行類中もっとも風変りで、かつ美しい一連の種が含まれている。これらの種に共通していることは、鼻器が鼻脚(Nasen-Bein)という跳躍器官になっていることである。彼らはそれを使って強力な跳躍ができるが、重心の関係でそれは後向きにおこなわれる(図版VI参照)。(P.62)

彼らは、跳ぶのです。一本脚のように見えるけど厳密には鼻で、くの字のようになったそれをバネのように使って後ろに大きく跳躍する。これ、図がないと多分イメージしにくいと思うのですが、方向調整するための大きい耳とか、バランスとったり餌を取ったりするための長い尻尾も面白い。感心してしまった。そう来たか。

もうひとつ面白いと思ったのが、歯が退化していて形のある食べ物を摂ることができないヤドリトビハナアルキ属の種がどうやって栄養を摂取するのかという点。彼らは、同じ鼻行類仲間のツツハナアルキと共生関係にあるのだそうです。

すなわち、ヤドリトビハナアルキ類は空腹になると、まず獲物探索の衝動が目ざめる。さかんに歩きまわり、先に述べたような甲殻類を捕えようとして、割れ目やすきまに尾をつっこんでまわる。獲物を手に入れると、慎重にツツハナアルキに近づくが、独特な跳びかたをして自分の存在を相手に知らせる。(中略)ツツハナアルキが体をまわすのをやめ、喉を鳴らしてゆっくり嗅ぎはじめると、やっとヤドリトビハナアルキは腹側からごく近くに寄り、尾で交換商品つまり獲物を渡す。するとツツハナアルキは、獲物のいきがよいかどうかを確かめる。(中略)その《商品》に満足すると、ツツハナアルキはヤドリトビハナアルキに胸をさしだす。ヤドリトビハナアルキは小さく跳ねてひっくりかえり、横に巻いた尾で立って乳を飲みはじめる。(P.69)

こんな感じでヤドリトビハナアルキは獲物を捕らえてツツハナアルキに差し出し、代わりにツツハナアルキの乳を飲むわけです。面白いのは、ツツハナアルキはおなかがいっぱいであれば獲物のいきがよくなくても乳を与えることがあるのに対して、ヤドリトビハナアルキが乳を飲みたいときには、何かしら手土産を渡すという動作をせずには気が済まないことです。一連のルールがあるんだな。


トビハナアルキ以外にも、鼻で歩いて移動するナゾベーム、6本の帯状の鼻で獲物を待ち伏せイカモドキ、頑丈な尾を茎のように地面に立てて花に擬態した鼻で虫を待ち受けるハナモドキなど、面白いのがいっぱいいます。水中に棲むミジンコラッパハナアルキも好き。

さて、では今ハイアイアイ群島に行けばこれら鼻行類の生態を間近にみることができるのか?という疑問が出てきますが、答えはノーです。あとがきに以下のような文章が載せられています。

ハラルト・シュテンプケの原稿がまさに印刷に付されようとしていたとき、秘密裡におこなわれた核実験(これについては、新聞社すらまったく知らずにいた)に当たった1人の下級職員の過失から全ハイアイアイ群島が消滅したことが公にされた。約200km先で爆発が起こったとき、予想だにされなかった地殻の歪みによって、群島全体が海面下に没してしまったのである。(P.130)

この核実験によってマイルーヴィリ島に滞在していた国際的な調査団や、ハイアイアイ・ダーウィン研究所の研究者と多数の資料がすべて失われてしまった…ということになっています。
まぁ、お気づきですよね?発見されてからもう半世紀も経つのに、動物園にもいないし、自然史博物館にもいないし、図鑑にも載ってないし、NHKの復元画像もないですもんね?

この本は論文の体裁を取っていますが、いわゆるパロディ論文です。鼻行類は残念ながら存在しません。それでも詳細に目や属に分類し、ラテン語の学名をつけ、先行研究の参考文献の一覧を付与し、体裁としては大真面目に論文です。でも、パロディです。そこが良い!!
巻末に載っている垂水雄二の解説「この本の正しい読み方」というのが非常に面白いので、気になる方は先に解説を読んでもいいかもしれません。本書のフランス語版には動物学の大御所が序文を寄せ、「コビトハナアルキを鼻行類に入れたのは誤りで、これは扁形動物の1種とするべきだとも述べている(P.141)」とか、それに対して別の大物学者が『サイエンス』誌の書評で反論しているという情報も書かれていて、学問ってそういうものだよなぁとニヤニヤしてしまう。発売当初はやっぱりいろいろと衝撃だったようですね。

こういうのすごく好きです。とても面白かった。