好物日記

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映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を観てきました

starwars.disney.co.jp

スター・ウォーズのシリーズ完結編という触れ込みのエピソード9、「スカイウォーカーの夜明け」を昨年末に3Dで観てきました。
なお今回は初めてDolbyの3Dで観たのですが、3Dメガネが私の頭には合わなくて、重くて結構痛かったので、多分次からはIMAXかな…

映画自体はとても良かったです。やっぱりよくできたシリーズだ。

エピソード4の公開が1977年だったとのことなので、映画技術の変遷という点でも面白いシリーズなんだろうと思います。SFX技術の進歩はすさまじい。
シリーズ全体を見渡した細かいお楽しみポイントはSWシリーズの有識者の方々が書いてくれると思うし、私自身が見つけられてる自信もないのでそこは触れないでおきます…。
ただこれまでのシリーズと比べて、より西洋っぽさが強まっている感じがしました。キリスト教世界観、特にアメリカを感じる。SW世界の舞台設定を「遠い昔、遥か彼方の銀河系」にしたのって、既存の地球の歴史や宗教の影響を作品世界に入れたくなかったからかなと思っていたので少し意外でした。キリスト教世界観というのは、西洋世界人にかけられた呪いなのかもしれない。禅思想とかジェダイの服装とかのアクセサリ的なところじゃなくて、やっぱり作品世界の根っこがアメリカだなという感じ。もしかしたらエピソード7以降、より顕著になったのかもしれないですが。

観ていて特にぐっときたポイントはチューバッカの慟哭とC-3POの決断。ゾーリは終始格好良かったし、ジャナ一派の見せ場もめちゃくちゃ良かった。ディズニー配下に入ったからか、時代のせいか、あるいは両方か、女性の活躍が特に印象的でした。なるべく多国籍にしようとか頑張っているのがよくわかる。
ホモサピエンスではない宇宙人たちの文化の描写がSWシリーズの面白さの一角を占めていると思うんですが(異なる生活環境で適者生存して生き残った種族の生態系なんかもめっちゃSF的でテンション上がる)、ストーリーを動かすにはどうしてもホモサピエンス中心になるのは仕方ないのだろうか。悪の親玉がエイリアン的姿だと、それはそれでアレなのかな。ジョージ・ルーカス的には我々人類がジェダイの末裔であることを仄めかしたいのだろうから、そうなるとやっぱりホモサピエンスの物語にせざるを得ないのかな…。

でも他種族のひとりを主人公にしたスピンオフとか観たいですよね?SWシリーズの面白いところは他種族の言語の文法まで設定されているところなので、原語が他種族語のスピンオフ作品とかぜひ作ってほしい。スクリーンに観に行くと、まるで聞き取れない言語の会話がめっちゃいい音響で聞こえるのだ。英語も含め、全世界で字幕がつくのだ。やってくれないかな…

しかしやっぱりカイロ・レンですね!彼がいることで、エピソード7,8,9 はぐっと深みが増したと思う。非常に面白い、魅力的なキャラクターでした。良作のシリーズには常に魅力的な悪役がいるものです。

ということでカイロ・レンについて語りたい。ネタバレしているので隠しておきます。


カイロ・レンについては、新約聖書の放蕩息子を重ねて観ていました。悪の道に染まりながらもちょっと思ってたのと違う風になってどうしようもなくなり、かといって両親の元にもいまさら帰れない。しかし母親の赦しの声が彼を撃ち抜き、最終的に彼はベン・ソロとして善の道への帰還を果たす。王道ストーリーってやっぱり盛り上がる。
しかしベンは実にハン・ソロの息子だ。ハン・ソロも家を飛びだしていたし。レイアはSWシリーズの核の一人だし、永遠にお姫様だし、もうどうしようもなく聖女様なんですが、やっぱりそういう役割は必要なのか。
フォースを通じて「ベン」と呼びかけるレイアの映し方とか、その声を聴いてカイロ・ゼンがはっと後ろを振り返るシーンとか、特にキリスト教を感じました。『カラマーゾフの兄弟』でいざというときにミーチャの胸を吹き抜けた、あの救いの瞬間と同じ種類の「何か」ですよね。元ストームトルーパーのジェナたちが脱走を図ったときの不可思議さについても、作品世界的には「フォースだ…」みたいな感じでしたけど、それって神の思し召しってことだと思いますし。
SWシリーズではこれまで血筋を重視する貴族的なところがあって、フォースの使い手かどうかは選ばれし人であるかどうかがかなり大事だってことになっていたと思っていましたが、今回フィンやジャナがフォースに導かれてここにきた、という流れにしているところは、路線変更したのかなと思いました。

もう一度同じことの繰り返しになってしまうけれど、SW世界が「はるか昔の銀河系」である意味は、既存の歴史や宗教の影響を排除するためだと思っていました。今回の映画はあまりにもキリスト教世界っぽかったので、ジョージ・ルーカスは作品でそういう神話的象徴を扱うことを避けていたわけではないのかなと不思議に思っていろいろ考えていた。でもよく考えたら「父親殺し」という、これでもかという王道テーマを主軸に据えていたんですよね…じゃあ関係ないか。単純にSW世界に既存宗教色をいれたくなかっただけで、シンボルを潜ませておくことにはそこまで否定的ではないのかもしれない。SWシリーズ通して、決められた運命にちっぽけな個が翻弄されるあたり、どう足掻いても占いの結果は変えられないギリシア神話だ。

あと今回は「父親殺し」が「祖父と孫娘」という形で実行されているのが面白かったです。どちらにしても新勢力が旧勢力を倒して光の世界をもたらすという構造に変わりはないんだけど、打ち破るのがベンとバディを組んだレイであるのが面白い。戦う時に空間を越えて共鳴し合う場面の背景の映し方がめちゃくちゃ格好良くて感激しました。雪が!モノだけ空間移動するシーンが最高です。
突然のテレポーテーションもさることながら、「ダークサイトに堕ちた場合」のレイが出てくるあたり、これはやっぱり量子力学SFなんですかね。0でもあり1でもある並行世界。

今回がシリーズ最終章というのは眉唾だと思っていたけれど、映画のラストでレイがライトセーバーを地中深く埋める場面はシェイクスピアの『テンペスト』のラストを彷彿とさせました。ジョージ・ルーカスは本気で魔法の杖を折る気なのかもしれない。
でもスピンオフはやるんじゃないかと期待しています!