好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

中村妙子『アガサ・クリスティ―の真実』を読みました

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アガサ・クリスティーの真実』
作者:中村妙子
出版社:新教出版社
発売日:1986年2月25日
メディア:単行本
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アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』の訳者である中村妙子さんによるクリスティ本です。シェイクスピアソネットから取られたこの本のタイトル、名訳だなぁと思っていたら、既存の誰かの訳ではなく、中村訳だそうで、俄然興味がわきました。なんて素晴らしい訳をする訳者さんなのか。
この本は図書館で見つけたのですが、もう手に入りにくいかもしれません。ISBNもついていないし、amazonにもないし。内容は二部構成になっていて、第一部が「アガサ・クリスティ―の真実」と題されたクリスティ作品についての読み物。第二部が「イーディス・キャヴェルの真実」と題された、英国夫人の伝記になっています。

ちなみに本書にはクリスティの代表作のひとつである『アクロイド殺し』など、作品の犯人について言及されている箇所がたびたびあります。謎解きのネタバレを避けたい人は、クリスティ作品を読破したうえで読まれることをお勧めします。

第一部は翻訳者が原著者の作品を通して原著者を語るかたちになっていますが、非常に明快で読みやすい文章でした。やっぱりうまい訳をする人は、文章が上手なんだなぁ。クリスティはフェアなミステリを書く人なので、基本的な単語の訳が非常に難しいと書かれていました。さもありなん。
私がこの本を読んだのは『春にして君を離れ』の読書会準備のためなのですが、中村さんが『春にして君を離れ』第七章から、妻帯者の男性と結婚するつもりの長女エイヴラルと、その父ロドニーとの会話の部分を抜粋しているのが面白い。夫との離別を経験したクリスティの思想がここに表れていると中村さんは見ているわけです。
『春にして君を離れ』については第5章でも詳しく書いているのですが、そこではシャーストン夫人をメインに据えています。シャーストン夫人とロドニーとの関係性においてシェイクスピアソネットが役割を演じるのですが、この訳を、中村さんがしているんですよね。古文調で格調高い訳です。ただ引用がものすごく多くて、実際に何か書いてあるわけではない、とすら言えるくらい。筋を知っている人間からするとさらにもう一歩書いてほしいところ。そこは読んでいるから、他を詳しく…!

なので引用メインの第一部よりも、第二部のほうが面白かったです。こちらで語られているイーディス・キャヴェルは、クリスティーの『秘密機関』にも出てくる実在の看護婦。「第一次大戦中、ドイツ軍の支配下のベルギーから連合国の兵士を脱走させたかどでドイツ軍によって銃殺された女性(P.157)」です。雑誌『婦人之友』に連載していた伝記をまとめたものとのことですが、読み物としてとても面白い。イーディスが看護婦になった経緯や当時の看護婦事情などが詳しく描かれています。スパイのようなことをしてドイツ軍の目を盗み、見つかったら命が危ない状況で人を匿うことができる人って、史実にちらほら見ることができますが、心底凄いなと思う。私にできるか?いざというときに、命を懸けてまでできるか?イーディスは結局銃殺されるわけですが、それでもいいって、思えるか?善く生きるってなんだろうなぁ。

翻訳者である中村妙子がクリスティをどのようにとらえていたのかがなんとなくわかりました。多分、クリスティも中村さんも、殺人事件を読んだり書いたりする一方で、人の良い面を信じて生きていたのではないか。人柄って文章ににじみ出るものだな。
ちょっと手に入りにくいですが、読んでよかったです。