好物日記

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アガサ・クリスティ―『アガサ・クリスティ―自伝』を読みました

ミステリの女王と名高いアガサ・クリスティの自伝。実はクリスティ作品ってそんなに読んでいないのですが、文章が上手いので面白く読めました。
なお彼女は1976年没、本書は1977年に英語で出版。日本語の翻訳版は早川書房から2004年に発行されているのですが、待望の翻訳だったことでしょう。上下巻で結構分厚いのですが、読みやすいのは訳も上手いのでしょう。
自伝ってあまり読まないジャンルなのでスタンダードがわからないのですが、この本は「はしがき」にある通り、おそらく通常の自伝よりもかなりエッセイ寄りのスタイルで書かれているのだと思われます。あの時はああだった、そういえばあの時にはこんなことがあった、と時代も話題もあっちこっちに行きながらなので、著者と話をしているように感じる。
クリスティといえば失踪事件も有名ですが、本書ではそのことにまったく触れられていない、というのも面白い。自伝だから、何を書くかは本人が決める。周りが興味津々なわりに、本人はそれを書かないことに決めたというのが興味深いです。

家族の思い出、使用人の思い出、旅の思い出、最初の夫との出会いと別れ、次の夫との出会い、考古学への目覚めなどなど。中でもやっぱり家族の思い出は、読んでいてもほんわりして和みます。
「人生の中で出会うもっとも幸運なことは、幸せな子供時代を持つことである。(上巻P.29)」で始まる第一部「アッシュフィールド」がとても良い。一人で遊んだ思い出もいいけれど、母親の思い出が素敵です。

泊まりがけで来ていたある子供が、ある日食卓係のメイドを軽蔑するように、「なによ、あんた、ただの使用人じゃない!」といってるのを母が聞きとがめて、その場で叱ったことがある。
「二度と使用人にあんなことをいわないようにね。使用人は最高の思いやりで扱ってやらなくちゃいけないの。あの人たちはね、あなたが長いこと修行しなければできないようなことを上手にやってくれる人たちなのよ。それから、あの人たちは口答えができないということを覚えておいてね。身分上、あなたにむかって無作法なことをしてはいけない立場の人には、いつも丁寧にしなければいけないんですよ。もしあなたが無作法なことをすれば、その人たちはあなたを軽蔑して当然よ、というのはあなたはレディらしくない行ないをしているからよ」(上巻P.62-63)

なんという格好よさ!
両親ともに仲がよく、クリスティからみて理想の夫婦だったようです。子供から見た親というのは、最も身近な権威でしょう。彼らのいうことは常に正しく、世界で一番立派な人たちだと無邪気に信じていることが多い。しかし成長して外の世界を知るにつれて、どこかで親に幻滅を覚えるものだと思います(そしてそれが成長に必要なことでもある、寂しいけど)。ただ本書ではそういう確執のようなものが見当たらない。晩年に書かれたものだから、そういうのいろいろ通り越して書かなかっただけなのかもしれないけど、母親の死に対する狼狽ぶりを見ると、素晴らしい人だと信じたまま母親の死を迎えたのかもしれないなぁ。

しかし母親に負けずクリスティもめちゃくちゃ格好いいのです。
最初の夫アーチ―と世界一周旅行に出る話が巡ってきたとき。まだ娘も小さい、けれど夫の仕事についていく形なら旅費の心配はない、ただし戻ってきた後の金銭的な心配はある。クリスティに一緒に来てほしいが、行くかどうかは冒険だ、という夫に彼女は答える。

「わたしにとってのチャンスですもの。今やらなくちゃ、わたしたちいつまでも自分自身に腹を立てていなくちゃならないと思う。そうよ、あなたがいってたように、チャンスが来たときに、自分が望んでいたことのために冒険することができなかったら、人生なんて生きてる価値がないわ」(上巻P.598)

格好いい女性ではないですか。自分で選ぶのよ!という姿勢は自伝全体からも感じられて素敵です。彼女はその後もひとりで遠くへ旅行をしたりして、その経験が小説を書く時にも活かされていたようですね。
ヴィクトリア朝に幼年期を過ごし、戦争の時代を潜り抜けて70年代に亡くなったという激動の時代をみてきた人が、作品とは別にこういう自伝を残してくれたのはありがたい。とりわけクリスティのファンというわけでなくても、じゅうぶんすぎるくらい面白く読めました。