好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

カズオ・イシグロ『日の名残り』を読みました

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

某所で土屋政雄訳の本の話をしたあと、猛烈に土屋政雄訳の本が読みたくなって、積んであった本書を読んだのでした。だからこれは、カズオ・イシグロを読みたかったというよりも、土屋政雄を読みたくて読んだといったほうが正しい。でもカズオ・イシグロの文章も好きなので、結果的には最高のタッグで私の心を抉っていっただけなのでした。
カズオ・イシグロは『わたしを離さないで』しか読んだことがなかったのですが、しっとりした文章が好みで、好みだからこそあんまり慌てて読み尽くしてしまいたくなかった。だからこの本も積んであった。読んでしまったので、また積んでおくように買い足さないといけないのですが。

時は1956年7月。英国の由緒あるお屋敷であるダーリントン・ホールで長らく執事を務めるスティーブンスは新しい雇い主である裕福なアメリカ人から車を借りて、約一週間の自動車旅行をすることになる。戦前に屋敷に勤めていた女中頭の女性に復職の誘いをする旅だ。もう老齢に差し掛かっているスティーブンスは、前の雇い主であるダーリントン卿のこと、屋敷で開かれた数々の国際会議のこと、これから会いに行く女中頭のこと、同じく執事であった父のことなどを思い出しながら西へ向かう…

ものすごく良かった、映画も良かった、という前評判は聞いていましたが、噂に違わずとても良かったです。人生の黄昏、作品全体にかかるデクレッシェンドが美しい。行っては戻る時間軸、静かに迫りくる目的地。近づいていき、たどり着き、重なる瞬間。さすがだなぁ。いいなぁ。

語り手のスティーブンスは最初、偉大な執事には品格があるとか、同じく執事だった父にはそれがあったとか、彼は立派な執事だが彼はだめだとか、いろいろ独白するのですが、だんだん読み進めていくうちにおや?と思ってくる。花びらを一枚ずつ散らしていくみたいに、ゆったりとカメラが後ろに回り込むみたいに、スティーブンスの語る内容が明らかになっていく。このやり方がたまらない。気がついたら背後にいる感じ。嫌みではなく、ごくごく自然に、優雅に、たまたまここにたどり着きましたみたいな雰囲気で、しっかりと見せつける。さすが!

なので、あまり内容について触れたくはないのです。前情報が少ない状態で読んでほしいので。
ただこの、作品全体に漂う黄昏感を感じてほしい。そしてAとBが重なり合うことで生まれる味わい深さを感じてほしい。あるいは対比されることで浮かび上がる効果を。

カーディナル氏との会話が特にたまらないのですが、ミス・ケントンが絡む思い出の部分も生き生きしていて好きです。スティーブンスとやり合う場面はどこも良いのですが、ひとつ選ぶならやっぱりユダヤ人の解雇問題の場面ですね。ダーリントン卿が反ユダヤ主義に影響されて屋敷の2人のユダヤ人女中を解雇することに決め、その決定を執事であるスティーブンスが女中頭のミス・ケントンに伝えるところ。

「申し上げておきますわ、ミスター・スティーブンス。明日、あなたが二人を解雇なさるのは間違っています。それは罪ですわ。罪でなくてなんでしょう。そのようなお屋敷で、私は働く気はございません」
「ミス・ケントン。あなたに一言申し上げておきたい。このように大きな、次元の高い問題について、あなたは的確な判断を下せる立場にはありますまい。今日の世界は複雑な場所です。いたるところに落とし穴が口をあけています。たとえばユダヤ人問題にしても、あなたや私のような立場の者には、理解できないことがいくつもあるのです。私どもに比べれば、ご主人様のほうが、いくぶんなりともよい判断を下せる立場におられるとは言えませんか?(後略)」(P.207)

結局ミス・ケントンは屋敷に留まるのですが(「臆病だったのですわ」と彼女は言う)、やるせないなぁ。
正しくないと信じることが公然と行われたときにそれを正しくないということはできても、態度で示すことは非常に難しいんだろうな。そういうことができる人を私は尊敬するけれど、自分にできるかというと自信がない。ミス・ケントンは気が強くて自分の意見をはっきり表明するけど、彼女も屋敷を去ることはできなかった。やるせない。

…そんなエピソードも含め描かれるスティーブンスの旅から目が離せなくて、素晴らしかったです。ひとつひとつのエピソードが丁寧で素敵だ。
カズオ・イシグロ、35歳でこんなの書いちゃうのか。結末が優しいのも、それが彼の良さなのかもしれない。
そしてそんな味わい深さを感じられるのも、土屋政雄の上品な訳のおかげなんだろう。またいつでも読めるように、別の未読作品を手に入れておこう。