好物日記

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湯本香樹実『ポプラの秋』を読みました

ポプラの秋 (新潮文庫)

ポプラの秋 (新潮文庫)

秋なので。同じ著者の『夏の庭』は読んだのですが、そういえば『ポプラの秋』は読んでいなかった。ちょうど姉から譲り受けた本の山の中に入っていたので読みました。『夏の庭』は少年とおじいさんの話だったけど、『ポプラの秋』は少女とおばあさんの話なのか。

物語は、語り手の私が母親から電話を受けるところから始まる。幼い頃に母と二人で住んでいたポプラ荘というアパートの大家である「おばあさん」が亡くなったことを知らせる電話だ。私はその電話をきっかけに、ポプラ荘の住民たちと大家のおばあさん、そしてポプラ荘に越す前に死んだ父のことをつらつらと思い出す。そしてひとり、再びポプラ荘へ向かう。

『夏の庭』を読んだのはもうずいぶん前のことなので当時は意識していなかったのですが、湯本香樹実ってきれいな文章を書くんですね。読みやすく上手にまとめてくる人で、最初の数ページで語り手の現在の状況がしっかり伝わってくる。睡眠薬で無理やり眠るような状態にあること、それを母親が知らない様子であること、電話がくるきっかけとなった「手紙」がどうやら大事なものであるようだということ…それらをうまく回収して、結末に持っていく。丁寧な小説を書く人だなと思いました。
例えばこういうところ。

 私は学校に通いだした途端、考えるようになってしまったのだ。父はどこに行ってしまったのか。ある日突然、父はどこかへ行ってしまった。それは一体どういうことなのか。どうしてきゅうにいなくなってしまえるのだ。父はまるで漫画のなかの絶望的に不注意な登場人物のように、蓋の開いているマンホールにうっかり落ちて、消え失せてしまったも同然ではないか……
(中略)
 母とふたりきりか、あるいはひとりで過ごした夏の間、私はそんなことを考えたりはしなかった。考えようとしなかったし、まだ考えられる段階ではなかったのかも知れない。けれどいったん外に出てみると、この世界はそこいらじゅう蓋の開いたマンホールだらけの、少しも油断ならないところだという気がしてくるのだった。母も、私も、いつかその暗い穴に落ちて戻ってこられなくなってしまう、父のように。学校の友達や先生は、あまりにも明るく騒がしく力強かったので、誰一人として私の恐れる暗い穴について知っているとは思えず、私は自分がひどくひとりぼっちだと感じていた。(P.22-23)

その日その日をなんとか生き抜くことで精いっぱいな様子の母を、私はそばでずっと見ている。そして母の代わりにしっかりしなければ、と思う一方で、いなくなった父について考える、そんな場面の描写。
あくまでも一例ですが、上の引用のような雰囲気で、すごく丁寧な小説を書く。親切な文章が逆にちょっと物足りない気もしなくもないけど、その分落ち着きがあってきれいな小説になっています。なんとなく、優等生っぽい文章だ。湯本香樹実はまじめな人なんだろうな。

これまで湯本香樹実梨木香歩がごっちゃになっていて(おそらく昔、同じ時期に前後して読んだから)、『西の魔女が死んだ』と話が被って見えていたのですが、共通してるのは少女とおばあさんという組み合わせだけで、当たり前ですが違う話でした。湯本香樹実のほうが大人向けの小説という印象。大人になってから少女時代を回想するというストーリー構成だからでしょう。少女だったころを思い出すための時間を過ごした人のほうが深く味わえると思います。10代で一度読んでも、あと20年くらいしてからもう一度読んだ方が腑に落ちるだろうな。かくいう私も、多分高校生くらいで読んでもそこまで刺さらなかったと思う。今はそれなりに感じるものがあるけど、言うほど苦労して生きてるわけでもないのでまだ足りない気がする。刺さる人はきっと深手を負うでしょう。でもそれはきっと、その人の心の膿を出すのに役立つのだろう。

小さい頃の思い出はひとつの聖域だ。過去は美化されるものだし。でも過度に装飾せず、逆に少しの残酷さも添えて、全部含めて美しいと思わせるような描写ができる作家というのが何人かいる。湯本香樹実はその一人なんだと思います。主人公がポプラ荘に住んでいたのは小学校低学年のころなのですが、そういう年頃のこどもの描き方のバランスが良い。どう足掻いても幼いけれど、ただ純粋なわけではないところが。
行間に人柄の良さがにじみ出た、優しい雰囲気の小説でした。