好物日記

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酉島伝法『宿借りの星』を読みました

宿借りの星 (創元日本SF叢書)

宿借りの星 (創元日本SF叢書)

すごいものを読んでしまった。しっかりばっちりSFなんですが、良質なファンタジーとしても読めると思います。地球ではない星に生きる、甲殻を持つ生き物たちの物語。
主人公は4つの眼、3つの胃、4本の脚と2本の腕を持つズァングク蘇倶(ぞく)のマガンダラ。かつてはヌトロガ倶土(くに)を賜盃(しはい)する立場だったけれど、いろいろあって倶土を追われ、行き場もなく幻覚を見ながらひたすら咒漠(じゅばく)を歩き続ける…
音と文字との少しのズレが生み出すイメージの強さ、当然のように異形でありながら異形さを感じさせない登場生物たち、4つの目を持つ生物の身体感覚の再現性、捕食者・被捕食者が共存する特殊なようで一般的な社会感覚。そして彼らが憎らしげに「卑徒(ひと)」と呼ぶ存在の謎。バイオSFであり、ハードボイルドであり、幻想小説であり、盛り沢山すぎてどこから手を付けたらいいのかわからないけど、一言でいうなら最高である。
とくに酉島伝法の描写がすごいんです。

 頭の奥深くまで霞んでいるようだった。
 マガンダラに見えるものと言えば、足元に次々と現れる水溜り、傍らを這い進む渡那貝曳(となかいび)きの荷橇、長い四本脚でぬかるみを踏み歩く̪駟(し)種の脚絆くらいだった。いまヤドロヌワはどのあたりにいるのだろう。
(中略)
 鎧殻(がいかく)に覆われた脚の爪先を引き抜くたびに、雲児(うんに)を絞るような音がして、埿草(うきくさ)混じりの泥沙から泥水が染み出してくる。ときにはうまく抜けずに体が傾き、尻尾を片側に寄せて姿勢を保つ。脛まわりにへばりつく泥が厚みを増してくると、両の脇腹にひとつずつある鞘穴(さやあな)から、脇差種の螺子(つぶね)たちが這い出してくる。

小説の冒頭部分の、ほんの一例ですが、ご覧くださいこの描写。地球とは異なる生態系の、ヒトとは異なる生物の一人称にも関わらず、ごくごく自然に彼の視界でものを見ている気になってくる。映像的な文章で、異なる生態系の思考をさらっと書いちゃう酉島伝法は一体何蘇倶なんだ。いやさらっと書いたわけではないんでしょうけど、さらっと書いたように見える、文体に無理がなく馴染んでいるところが凄いのだ。本当たまらない。

面白いポイントは山のようにあるのですが、味わい深いのはやっぱり単語のセンスですね。触髭(しょくしゅ)、裂脣(くちびる)、肉舞(ししまい)、梵語座(ぼんござ)、異相巾着(いそうぎんちゃく)…どういう意味かは読んでのお楽しみです。これは読んで楽しむものだというのがよくわかる文字と音との組み合わせの妙。ルビが生きる。

そしてもう一つすごく面白いのが、彼らの不可思議な社会構造です。彼らの社会は種蘇倶(しゅぞく)によって社会的役割が規定された封建的な社会になっています。トップは倶土を支える征(せい)なる御侃彌(おかんみ)。そして砲戴(ほうだい)様や補綴(ほてい)さんと呼ばれる特殊な役どころや多種多様な種蘇倶たち…
同じ種蘇倶ではない彼らは、それぞれ異なる体を持つ。そもそも足が何本なのか、目がいくつあるのかも、種蘇倶によって異なる。生まれながらに貴族的特権を持っている種もいれば、彼らに食われる種もいる。
例えばズァングク蘇倶であるマガンダラはエリート的種蘇倶であり、同じ社会の一員であるラホイ蘇倶を食べる捕食者でもある。ズァングク蘇倶とラホイ蘇倶は同じ社会に共存しながら、子だくさんのラホイ蘇倶は生まれた子の何割かを食用として社会に拠出する約束をしている。あるいは、道で見初められれば食われることもある。しかしラホイ蘇倶は案外ドライに受け止めているのだ。読んでいるとショッキングなように見えるけど、自然競争的な原理で考えればそんなに珍しい話でもないのは、わからなくもない。それにちょっと焦点をずらせば、現代の人間社会でも同じようなことが起きているのだ。文字列とルビを少しずらすように、彼らの社会と我々の社会の重なる部分を中心にちょっと角度を変えてみれば、大して変わらないものでしょう。捕食者と被捕食者というのは文字通り「食べる食べられる」に限らない関係性として我々の社会でも存在するのだ。それは善悪とは別の話です。

などと、いろいろ考えるのも楽しみの一つ。しかしすごいなぁ、この小説は。できればあまり前情報を仕入れずに、文字を追って想像を膨らませて楽しんでほしい。でもところどころに酉島伝法自身の挿絵があるので、それはそれでイメージの助けになります。異生物っぽさ満々の素晴らしきイラストですが、微生物系が苦手な方はびっくりするかも。表紙の化石っぽいのも素敵ですけど、綿密なスケッチも良いものです。

読み終えると、『宿借りの星』というタイトルに溜息がでる。飛浩隆の帯と、円城塔の解説がまた良いのです。濃厚な読書体験でした。