好物日記

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映画『時計じかけのオレンジ』を観てきました

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毎日午前10時から過去の映画のリバイバル上映を行う「午前十時の映画祭」にて、『時計じかけのオレンジ』を観てきました。やっと観られた!ずっと気になっていたのですが、これまで観たことがなかったのです。噂だけは聞いていたものの…こういう映画だったのか。
問題作と言われるのもわかるけど、名作と言われていることに非常に納得しました。緻密に計算された、すごく良くできた映画だ。私は好きです。でも苦手な人もいると思うので、おいそれとは勧められない。

主人公のアレックスは残虐的な嗜好を持つ非行少年。夜な夜な手下を引き連れてドラッグをキメて、物乞いの男性に集団暴行を働いたり裕福な家に強盗に入って強姦したりとやりたい放題である。そんなある日、強盗に入った家の女主人を殺害してしまった上に仲間に嵌められて、とうとう年貢の納め時、14年の刑期を食らって刑務所行きとなる。刑務所内では英国国教会の牧師のお気に入りになるなど世渡り上手にやっていたが、とにかく退屈な日々。しかし2年が過ぎて「2週間で受刑者を更生させる新しいプログラム」の噂を聞きつけると、一刻も早く刑務所から出たいアレックスはプログラムの被験者に志願し、まんまとその座を勝ち取ることに成功。やっと出所できるとワクワクしたのもつかの間、そのプログラムとは「暴力的な行為や思想に対して吐き気を催すように暗示をかける」というものであった。被験者となったアレックスは見事、自らに対する暴力になんの抵抗もできない身体になってしまう…
というのがおおまかなあらすじです。ネタバレもなにもないような話なので言ってしまうと、プログラムにより「更生」して出所したアレックスは彼を恨む人々によってリンチにかけられるのですが、政治的な思惑によって暗示は解かれ、晴れてアレックスは残虐非道な嗜好を取り戻す、というのがこの映画の結末。この結末が見事。

語りたくなるポイントが随所にちりばめられていて、数が多いので全部拾うことはとてもできません。アレックスの坊やっぷりとか、善とはなにかとか、刑務所の存在意義とか、結局は暴力がすべてを凌駕するのかとか、キリストの受難にみるマゾヒズムサディズムとか、盛り沢山すぎる。しかもちょいちょい笑うとこ挟んでくるのが、さすがだ。

そもそも映画の冒頭からしてもうやられた!という感じでした。BGMにはパイプオルガンを思わせる荘厳な音楽、でもちょっと音が薄っぺらい。ビビッドな赤、青、カメラをじっと見つめるピエロのような若い男。仲間4人横並びで白ずくめの服に血糊をつけて、据わった目をして口に運ぶのはミルクの入ったガラスのコップ。カメラが引いて室内の様子が見えるようになると、そこには異様なインテリア。女性の裸体を模したテーブル、仁王立ちの男。そして独特の単語をちりばめたアレックスの独白。
この映画のすべてがこの冒頭に凝縮されているようで、すごい。最初からインパクト強かったけど、一度映画を観終わってから改めて冒頭を観るとぞっとしますね。だいたいここで飲んでるミルク、ドラッグ入りなのはわかるけど、ミルクというチョイスがね、他の飲み物では代替できない隠喩を多分に含んでいますよね。性的なものも含めてなんだけど、坊やっぷりも強調されている。
そう、アレックスは坊やなのです、最初から最後まで。彼は青年ではない、少年でもない、面白そうなおもちゃ箱に手当たり次第に突っ込んでいく幼稚園児のような坊や。出所後、悪友が立派な悪徳警察官に成長していても、アレックスは坊やのまま。映画の最後で悪徳政治家の広告塔になる道を選んだときも、新しい庇護者を見つけただけであって、彼自身が成長したわけではない。彼は決して成長しない。口を開いて餌を待つ雛鳥の仕草、めちゃくちゃ良かった。

ミルクに限らず、シンボル的な小道具の使い方が上手くてしびれる。あと音楽と映像の組み合わせ方が気持ちがいい。アレックスが自室で第九を聴くときのキリスト像や暴力的な映像の音ハメとか。あとアレックスがしょっちゅう口にする独特の単語は仲間内でしか通じないような、いわゆる若者言葉なんだろうなとは思いましたが、後で調べて初めてロシア語を取り入れていると知りました。ホラーショーって、horror showじゃなくてхорошоだったか!

あとハンニバル博士はバッハがお好きだったけど、アレックスはベートーヴェンがお好きなんだなぁと思いながら観ていました。アレックスがベートーヴェン派なの、すごくよくわかる。あの派手派手しい感じがいかにもアレックス好みですよね。音楽の好みの話は原作の小説でも同じようですが、映画になると実際に演奏が入るので雰囲気が出ますね。第九は劇的だ。

もうひとつ大きなテーマは更生プログラムの意味のなさなのですが、ここ語り出したらもう止まらないのでほどほどにしておきます。ロボトミー的アプローチがダメだったことがわかったから、心理学的アプローチで対処しようとしたのか。でもあのプログラムはコンセプトからして人道的とは程遠いですよね。善とは何かという話でもある。英国国教会の牧師は「本人に選択の余地がないではないか!」と反対しますが、仰る通りだ。結局あのプログラムって、「善をなそうとする」のではなくて「悪をなすことができない」であるところが致命的なんだと思います。「~せよ」ではなく、「~してはならない」の観点でしか縛れない法則。彼らはカントあたりから道徳についての議論をやり直さなくちゃならないんじゃないか。まぁ道徳なんてどうでもよくて、刑務所の定員などの数字にしか興味がないのでしょうけれど。
そういえばドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」で、弱い人々は明日のパンがもらえるなら進んで奴隷になるだろうみたいなことをイワンに語らせているわけですが、まさにアレックスこそ進んで奴隷になる弱い人間なんだろうなぁと思います。いいのかアレックス、そんな悪徳政治家に身をゆだねて。坊やの君が出し抜ける相手じゃなさそうだけど?


ちなみに「午前十時の映画祭」、大人は誰でも1100円で観られる素晴らしい企画なのですが、10年目にあたる今年で終わるそうです。過去の作品をスクリーンで観る機会ってあまりないので、寂しいですね。名画座チェックして行くしかないな。長い間ありがとうございました。何度もお世話になりました。
時計じかけのオレンジ』、やってくれてよかったです。まごうことなき名作でした。