好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ホメロス『オデュッセイア』を読みました

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)

ジョイスの『ユリシーズ』を読み始めたついでに、元ネタとなっている『オデュッセイア』を読んでみました。長くなってしまったので最初に書いておきますが、読み始めるまでには勇気と決意が求められたものの、読み始めてしまえばとっても面白かったです。

タイトルの元になっているオデュッセウスについては「家に帰るのにやたら時間がかかった人」というくらいのおおさっぱな知識しかありませんでした。あと妻のペネロペイアが夫の帰りを待つための時間稼ぎに、昼間に織物をしては夜にほどくということをしていたことはどこかで読んで知っていたくらい。しかし息子テレマコスがこんなにも出張る話だったのか…。
長い旅というような意味でよく使われる「オデッセイ」という英語名はよく目にしていたし、ギリシャ神話も好きなので、読むべくして読んだという気もします。

すぐに手に入る岩波文庫の上下巻で読みましたが、巻末の注釈を入れてもそんなびっくりするほどの大長編ではありませんでした。独特の言い回しがあったり名前がややこしかったりしますが、慣れれば苦にはなりません。比較的新しい訳(1994年)だから、読みやすくなっているのかもしれません。またストーリーがしっかりあるタイプの物語だというのも読みやすさのひとつでしょう。

ストーリーをおさらいしておくと、トロイア戦争に出征したオデュッセウスが、いろいろあってたどり着いたカリュプソの島で女神に足止めされて20年帰国できなかったところを、女神アテネの助力によって、やっと家に帰れることになった、その帰り道の冒険譚です。
まだ幼かった息子テレマコスも年頃の男子になったけれど、オデュッセウスの行方は知れず、生死もわからぬまま長い年月が過ぎています。オデュッセウスの妻ペネロペイアは、オデュッセウスは死んだものとみなして屋敷に居座る求婚者たちに困り果て、いよいよどこかに嫁がなければならないかと覚悟を決めはじめたころ。部下を失いカリュプソの島に閉じ込められているオデュッセウスを哀れに思った女神アテネの取り成しで遂に島を出て祖国を目指し出発することを許されたオデュッセウスが、途中に立ち寄った国で旅の苦難を語ったり、息子テレマコスと共闘してオデュッセウスの財産を食いつぶす求婚者たちを打ち倒したりして、無事に王として返り咲いてめでたしめでたし、というような話です。かなり端折っていますが。
登場人物はやたら多いですが、オデュッセウス、ペネロペイア、テレマコス、女神アテネ(パラス・アテネ)がわかれば後は文脈でだいたいなんとかなります。オデュッセウス帰国後のシーンでは、忠実な豚飼いエウマイオス、求婚者の中でもボス的な立ち位置にいるアンティノオスとエウリュマコスの名前を憶えているとだいぶ楽になります。

詳しいストーリーは調べればすぐに出てくると思うので省略して、個人的におもしろいなと思った部分を書いておきます。

面白かったポイントのひとつは、ギリシャ神話あるいはホメロス独特の慣用句です。たとえば作中で朝が来ると、以下のような表現が毎回必ず現れます。

朝のまだきに生れ指ばら色の曙の女神が姿を現すと、 (上巻 P.35他多数)

本当に、大げさでなく、朝が来るたびに上の文句が律儀に繰り返されるものだからすっかり覚えてしまいました。朝を迎えるたびに「朝のまだきに生まれ指ばら色の曙の女神が姿を現した…」とか言えばひとりでオデュッセイアごっこができます。(ちなみにこのごっこ遊びの代表的な亜種には、リア王ごっこT.M.Revolutionごっこタイタニックごっこなどがあります)
ほかにも「なんてことを言うんだ」的ニュアンスの「なんたる言葉がそなたの歯垣を漏れたことか(上巻P.14等)」や、おなかいっぱいで満腹したときの「飲食の欲を追い払う(上巻P.17等)」など、独特の表現はいくつもあってごっこ遊びに事欠きません。耳慣れない、目慣れない言葉のオンパレートには初めのうちこそ毎回あれ?と躓いたりするのですが、慣れてくるとさらりと読んで楽しめるようになります。余裕で慣れるくらい何度も出てきますので大丈夫。

面白かったポイントのもう一つは、紀元前8世紀末頃に現在のギリシャにいたと思われる作者ホメロス、そして作中人物たちの生活を想像する楽しみがあることです。客人を国に迎えて身元を尋ねるとき、国の名前や親の名前に加え、「まさか歩いてきたわけではあるまい」などと詮索するのが面白かったです。島が自治の単位であって、地中海を船で行き来していたのだろうと想像できますが、当時の船ってどの程度だったのだろうか。ギリシャはまだ行ったことがないのですが、島と島の距離って、お互い相手が見えるくらいに近いのだろうか。あと客にごちそうを振る舞うときに必ず肉を食べているのですが、あんなに海に囲まれておきながら海の幸を堪能しないの?ハレの日が肉でケの日は魚、ということなのでしょうか。神に捧げるのは常に魚ではなく肉のように見えるし、生贄の肉を食べるときには、まず臓物を食べてから外側の肉を焼いて食べるのがしきたりだったと註にも書かれていました。新鮮さが大事であるためですかね。ジョイスの『ユリシーズ』を並行して読んでいる身としては「へぇ、臓物食べるんだ?へぇー」という感じで実に興味深かったです。

上下巻にわたる長い物語なので考えたこと感じたことすべてをここに書ききることはとてもできないし、すべて読みこなしたともとても言えません。しかし今後何かにつけて参照したときに「あぁここー!」という発見がまだまだありそうでわくわくします。関連する本を読んで楽しむというのもいいですね。
オデュッセウスが出逢った苦難を乗り越える様はまさにファンタジーの冒険譚や民話の主人公のようでした。叙事詩というから旧約聖書詩編のような詩的な構成を想定していたのですが、普通に文章なのでストーリーも追いやすく読みやすいです。語られるための語りという立ち位置のようなので、源氏物語よりも平家物語っぽい感じかな、という印象。ギリシャ語で聴いたら韻を踏んだりしているのかなぁ。ここまできたら『イリアス』も読まざるを得ない気がしています。

とにかく、古典だからとか長いからとかいう理由で躊躇するのはもったいないくらいに面白い冒険譚だったことはぜひお伝えしたいです。訳がいいんだろうなぁ。岩波文庫版、実に満足でした。