好物日記

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ギョルゲ・ササルマン『方形の円 偽説・都市生成論』を読みました

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)

カルヴィーノの『見えない都市』をまだ読んでいないのに、ササルマンの『偽説・都市生成論』を読んでしまった。しかしこれはカルヴィーノの二番煎じとかではなく、偶然同じ時期に違う土地で書かれ、当時の社会情勢の影響で数十年の間、日の目をみなかっただけの、オリジナルな作品です。もうこれ絶対好きでしょ、と思って発売早々に買ったのですが、大正解でしたね。めちゃくちゃ面白かったです。

都市というのはなんでこうもロマンを掻き立てるのでしょうか。地形や気候などの自然環境と、宗教や国体などの歴史的背景によっていろんな姿がある「都市」というのがとにかく好きで、私がたびたび旅行に行くのも街を観たいからというのが大きな理由のひとつです。大自然の偉大さよりも、大自然に立ち向かったり調和したりして暮らす人々の生活に興味がある。そしてこの本は、そんなあらゆる種類の仮想の「都市」の見本市になっています。

本書の冒頭を飾るのは、かの大いなるヴァヴィロン。多くの都市には〇〇市、というサブネームのようなものがついていて、ヴァヴィロンは「格差市」と題され、たった4ページの中にその都市の特異さが描かれています。またそれぞれの都市には正方形の空間に描かれた幾何学的なシンボルが付与されているのですが、これはすべてササルマンが個別に考えたのだとか。巻末に6×6のシンボリックイラストがずらりと並べられているのですが、その美しさにぞっとします。

ほかにどんな都市があるの?というのはぜひお読みいただきたいのですが、都市の名前だけでもイメージを掻き立てられるものがたくさんあるので、少しだけ紹介しておきます。ヴィルジニア―処女市、イソポリス―同位市、ポセイドニア―海中市、クアンタ・カー―K量子市、などなど。都市によってページ数に差はありますが、どれもそんなに長くはないです。短いからこそ濃い。

どの都市がお気に入りか?というと、とてもひとつには絞れないのですが、「グノッソス―迷宮市」は衝撃でした。この本に出てくる都市にはヴァヴィロンのように元ネタの伝説を持つ都市も出てくるのですが、グノッソスもそのひとつです。ギリシャ神話で、ダイダロスイカロスの父子がミノス王の国から脱出する物語が下敷きになっています。グノッソスの名前はミノス王の宮殿クノッソスのことでしょうね。牛の頭をもつ怪物ミノタウロスを閉じ込める迷宮を作ったのがダイダロス、そしてそのダイダロスの息子が、蝋でかためた翼で空を飛んだことで有名なイカロスです。迷い込んだら出られない迷宮を出る鍵は糸玉にあるという王女アリアドネの秘策により、英雄テセウスは生贄のふりをして迷宮に侵入してミノタウロスを倒すわけですが、この話はこの物語では語られません。このグノッソスでは、ダイダロスイカロス父子の脱出劇にフォーカスされており、空を飛んだイカロスが空から迷宮を見下ろす様子が以下のように描かれます。

今やイカロスにはどんな細かいところまでも見分けることができた。同時に、蜂の巣そのものも育ち、膨れ、広がり、地平線を覆った。それはもう一つの宮殿ではなく、まことに一個の都会だった。ほとんどの小房にはテセウスの糸玉を身に着けた人がそれぞれ一人いて出口を探っていた。彼らが思いもしないことだが、たとえ壁を抜けようとも別の小房に移るだけで、そこでまたゼロから始めることになるのだ。でもそんな拍子抜けの脱出さえ、あわれな囚われ人たちには許されていなかった。それぞれ自分が中心を占めている宇宙、彼らにとってその全宇宙はこの高い、貫けない、きらめく白壁だけになり、折角の糸玉も使い道がなかった。
彼らは自分から望んでここにたどり着いたのだ。腰にさげた剣で斬り殺すつもりの見えない牡牛は一体どこにいるのだろう?(P.55)

この視覚イメージに圧倒されます。ハニカム構造の迷宮のひと房ごとに剣を佩いて糸玉を手にした英雄がいて、それが視界いっぱいに広がるのですよ。ポップな演出のようでいて、元ネタはギリシャ神話ですよ!たまんないですよ!

ほかにも円環状の都市を訪れたイギリス貴族が回廊をひたすら進み続ける「サフ・ハラフ―貨幣石市」や、巨大な透明ドームにすっぽりと覆われ無菌状態となった都市の変遷を描いた「プロトポリス―原型市」などなど、話し始めたら36都市すべてに言及したくなってしまう。目次見るだけでワクワクするし、シンボリックイラストにうっとりします。作品が書かれてから刊行されるまでに長い月日が経過した本なので、著者のまえがきにも力が入っていて、各国翻訳版のまえがきやあとがきまで読めるという贅沢さ。とくに西島伝法さんの解説が素晴らしかったので少しだけ引用させてください。

三十六都市の多くは、何がしかの原因によって滅びを迎える。あるいは、幾度も容赦のない天災や襲撃などに見舞われながらも、しぶとく再興する。そこに検閲による削除と後の復活を重ねることもできるだろう。粘土細工のごとく作っては潰し、作っては潰しを繰り返すことで、都市やそれを作る人間とは何であるのかをやみくもに確かめようとしているかのようでもある。あるいは都市が作る人間を。
そう。人々が都市を作り続ける一方で、都市は人々の習慣を、思考を規定し、家族や人間関係を分断し、ときには肉体までも文字通りに変容させる。(P.212)

いいですよね、都市…。建築もそうなんですが、「人がつくった、人が暮らす空間」というのが、思考の具現化という感じがしてたまらないです。しかもそれが「図らずも明示化されてしまった」感がいいんですよ…。特に都市は、たとえ王様が音頭を取って作った街であっても、結果的に個人ひとりのものではなく実際に暮らす市井の人々の思想の集大成となるのが、制御しきれず育った被造物であるのが、とても良い。そして創造者であるはずの人は、被造物である都市の中に入ることで、次第に支配される側になるんですよね…。

すごく良かったです。和訳されて良かった。表紙も、カバーを外した装丁も格好良くてお気に入りです。