好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

いとうせいこう・みうらじゅん『見仏記 道草篇』を読みました

見仏記 道草篇

見仏記 道草篇

昔からこのシリーズが好きでして、久しぶりに新刊を読んだのですが、懐かしくもあり新しくもあり、楽しい読書時間でした。彼らの興味がいろいろ移り変わっているのが面白い。そして読む側である自分も、興味の分野が変わってきているので、そこも面白い。お互い大人になりましたね、という気分になりました。

今回読んで特に感じたのは、いとうせいこうの文章の上手さです。ルポ形なので基本的に過去形で「〇〇であった」と進んでいくのですが、いとう節ともいえるような独特のリズムがあって味わい深い。ところどころで二人の他愛のないやり取りが書かれるのも和むし、仲良く会話をしているわりに終始「みうらさん」「いとうさん」呼びなのも、その距離感がなんだかむしろ良い。そして唐突に深いコメントが差し挟まれたりして油断ならない。
みうらじゅんのコメントはたいてい削りに削った末の言葉なので、それだけではいまいち意味がわからないんですよね。それをツーカーの仲であるいとうせいこうが拾い上げて、我々素人にも理解できるよう解説を添えて文章にしてくれてやっと意図が理解できる、というような箇所が度々ありました。本当にこの二人は良いコンビだな。付き合いが長いというだけある。

あといとうせいこうが旅の興味について以下のように書いていたのが興味深かったです。

ふとした流行というか、知識欲というか、あるいは動物的な本能がキャッチする面白そうなものが常に我々見仏人の前にある。その底辺にはさらにこの数年流行している上人像への興味、神像への深い興味、長らくやまない円空への共感といったものが流れていて、その複合がその時々の旅で目の前をよぎると、我々はいきなりそれに熱中する。
この"好き"の流れみたいなもの(数寄屋造りの数寄、つまり風流への好み)は、馬鹿らしい我々の旅にとって、最も重要なものかもしれない。それを見いだせるかどうかによって、楽しさがぐんと違うのである。

今回二人は過去に訪れた寺を再訪しているのですが、1回目とは注目ポイントが違うらしいんですよね。それはそうだよなぁ、10年ひとむかし、時代が立てば興味も変わる。だから同じ場所を再訪するのも面白い。修学旅行で行った場所とか、たぶん今なら全然違うところに興味を示す気がします。本を読むのも同じで、昔読んだ本を再読すると気になるポイントが変わってくるものですよね。

今回の道草篇では長野、群馬、大分、青森、そして中国にまで行っているのですが、なかでも私の現在の興味と被ったのは青森でした。オシラサマ信仰が面白そうだ。本書から、土着の神の力強さがひしひしと感じられて、命に密着してる神は強いんだろうなと思いました。また行きたいなぁ、東北。
あと恐山にも一度行ってみたいのですが、やっぱりちょっと怖くもあり…イタコに口寄せしてもらうときには故人の没年月日や死因などのデータが必要らしいので、ちゃんと確認してから行かないとな。占いとかまるで信じていないんですが、やっぱ無理だよね、となるのか、えええええ!となるのか、自分の反応に興味がある。
あとみうらじゅんが描いていた「青森で興味があること」に、東日流外三郡誌とキリストの墓を挙げていて、ニヤリとしてしまった。だよね!好きそうだもんね!

今回は道草篇というだけあって、仏像以外の雑談部分も多くて、そこも面白かったです。続刊も楽しみにしています。