好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「2022年の『ユリシーズ』」の読書会(第一回:第四挿話)に行ってきました

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「2022年の『ユリシーズ』」という読書会の記念すべき第一回に参加してきました。非常に楽しい午後だったので記録しておきます。
ちなみにこの読書会は、『ユリシーズ』刊行100周年である2022年まで、3年かけて『ユリシーズ』を読んでいこうという壮大な企画で、ジェイムズ・ジョイスの研究者である南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さんの3名が企画されているものです。

最初にこの読書会のことを目にしたのはTwitterですが、どこから流れてきたのかは忘れてしまいました…。『ユリシーズ』は小説・評論問わずあらゆるところでお目にかかるので、一度読みたいとは思っていました。ただ、言葉遊びが多いから原文で読まないとわからないという思いこみがあって、どうにも手が伸びなかったのです。
しかしまぁみんなで読むならいけるかも、という目論見と、ここで読まなきゃ多分一生読まない!という直感から、思い切って申し込みました。我ながら英断だった。

そんなわけで柳瀬訳の『ユリシーズ』を購入したものの、飾ること一か月。実は一週間くらい前から慌てて読み始めました。
とはいえ全18挿話の中の、今回は第4挿話がテキスト範囲なので、一日1挿話読んで、4日で第4挿話までの一周目を読了。その後第4挿話だけ何度か読み返しました。

ほんとうに、読み始めるまで何も知らないまっさらな状態で(図らずも)読み始めたので、この物語が「6月16日のたった一日の出来事」であることもその後から知りました。ちなみに第一回は6/16だったのですが、この日をブルームズデーと呼ぶことも、今回初めて知りました。
ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』とか、ニコルソン・ベイカーの『中二階』とかを思い出しながら読んでいましたが、やっぱりそういう書き方に影響を与えた人なんですね、ジョイス。『灯台へ』は意識の流れっていうよりも元素の動きを追うレベルのイメージだったけど、たぶん狙っているものは似ていると思う。今このときが永遠になるという感覚。

ユリシーズ』に出てくる店や通りは現在もそのままある!というのがひとつの感激であり醍醐味ということなので、読み終わったらダブリンに行きたいなぁ。お店とか、実際いつまで残っているだろうか。
しかし2019年のダブリンにも作品に出てくるものが残っているという、そのことが永遠なのではなくて、1904年6月16日のダブリンが行間の後ろにそっくりそのまま存在するように読めるということが永遠なのだろうな。『ユリシーズ』の背後には、街が壊れようが地球が滅びようが関係ない、不動のダブリンがある。たまたま2019年にもほとんど残っているけど、たとえ戦争や災害で街が壊滅状態になっていたとしても、『ユリシーズ』のダブリンは無傷で残っていることになるので、現実の街がどうなろうとあまり関係ないのでしょう。それは『ユリシーズ』のダブリンがジョイスにとってのダブリンだからであって、『ユリシーズ』を構成する一語一語が元素のように、ジョイスのダブリンを形作っているのだと思う。
そもそも何かを特別だと感じるということは、そういうことなのだと思います。私はあなたではなく私でしかないということと同様に、『ユリシーズ』のダブリンはジョイスだけのダブリンであって、決して私のダブリンではない。さらに言えば『ユリシーズ』のダブリンは「1904年6月16日にジョイスが体験したダブリンを言葉で再構成したもの」であって、それは1904年6月17日のダブリンでは決してない。厳密にいえば1904年6月16日にジョイスが体験したダブリンとも同じではないんだけど、レプリカとしては最も近いもの、なのでしょう。
とはいえ残っているなら見たいよな!2022年はダブリンに行こう。

アカデミックな文学の読み方というのを学んだことがないので(出身は文学部ではない)、精読の仕方というのが新鮮で面白かったです。そうか、そういうところに着目するのか、という感じ。こことここの単語がつながっているとか、小道具にどんな意味があるとか。猫の鳴き声まで!


そして読書会のかたちとして非常に新鮮だったのが、参加者の意見を吸い上げる際にデジタルなツールを使っていたこと。普段の授業でも使っているそうで、テクノロジーの正しい姿って感じで、とてもうれしい。

主催の方々のやさしさと配慮の滲み出た、とても雰囲気の良い読書会でした。
もう一度第四挿話を読み返したい。そして次回の範囲である第一挿話を読み込みたい。一度通読してから戻ってこようかな。単語の意味も調べたいな。『オデュッセイア』も読みたいよなぁ。
こうしてやりたいことや知りたいことが芋づる式に増えていって、自分で自分の首を絞めている気がしなくもないけど、楽しいので仕方がないですね。
新しい軸足ができたように感じてとても嬉しいです。新しい扉を開いてしまった。