好物日記

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そごう美術館「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」に行ってきました

www.sogo-seibu.jp


行こう行こうと思いながらなかなか行けなかったそごう美術館のウィリアム・モリスの展覧会にやっと行ってきました!間に合ってよかった!

「役に立つかわからないもの、あるいは美しいと思えないものを家の中に置いてはならない」――そんなストイックな美学が魅力のウィリアム・モリスを中心に、英国の壁紙会社サンダーソン社のアーカイブを紹介する展覧会です。ウィリアム・モリス以前、ウィリアム・モリス本人のデザイン、そしてウィリアム・モリス以後のモリス商会、というように時代を追って展示されています。

モリス以前はフランス製が優秀で、英国は早々に壁紙に税金掛けたりしたためにデザインがそこまで発達しなかったとかいう歴史的背景が面白かったです。万博で英国製のイマイチさが露呈してしまい、そこから危機感を募らせて頑張ったのだとか。ジャポニズムの影響を受けたデザインや、日本が得意とした金唐革紙など、モリス以外の作品も充実していました。特に好きだったのがポール・バランの刺繍調壁紙で、どう見てもこれ刺繍でしょ!と思うのですが印刷された壁紙なんですよ…すごかった…
印刷の方法はブロック・プリント(四角い板版)とローラー・プリント(コロコロスタンプみたいな感じ)などがありますが、今回の展示ではほとんどがブロック・プリント(特にモリス作品はすべてそう)だったのが意外でした。パターン系の印刷ならぐるぐる回すローラー・プリントのほうが境目がなくて良いじゃんと思うのですが、当時の技術的な問題ですかね。ブロック・プリントは境目のない同一パターンを作るのに複数の板版が必要になることが多く、しかも印刷の境目で綺麗に合わせなくてはならないので、結構大変そうです。当時は機械もそんなに精度が良くないので、職人さん頼りだったらしい。多色刷りの場合の作り方の紹介もありましたが、まるで浮世絵でした。基本は同じだものなぁ。
エンボス加工を施した(模様を浮き彫りにした)紙にプリントする技法もあったのですが、やはり凸部分から着色が剥げてくるので、地の色が覗いていたり、ムラがあったりと当時の技術の限界を感じました。全体的に、遠目に見ればオッケーじゃん!みたいな良い意味でのおおざっぱさが時折見られて、大陸的だなと思ったり。ファッションにおいてよく言われることですが、ヨーロッパって全体のシルエットを重視する傾向があるというの、わかる気がする。

モリスのデザインは植物をモチーフにしたものが多かったのですが、地の模様(バックスクリーン)として葉っぱモチーフを入れて、その上に花や果物のモチーフを描く、というデザインが面白かったです。余白を有効活用しているなぁ。緑を基調としたものが落ち着いた雰囲気を醸し出していて好きでした。でも重厚な家具のある書斎には朱を持って来たくなるのも納得。
面白いなと感じたことの一つに、壁紙とテキスタイルに同じデザインを使うことをモリスが承諾していなかったというのがあります。壁紙を待たなくてもテキスタイルという分野で長い歴史があるはずの英国ですから、椅子やクッションとお揃いの壁紙、みたいなことしたがる人がいたとは思うのですが、それはモリス的にNGなんだそうで。なぜだろう、美的感覚が許さなかったのか。壁紙のデザインをテキスタイルに転用するのはアリっぽかったんですけどね。合わせすぎるとダサくなる、という理由だろうか…

あと今回初めて気が付いたのですが、そもそも壁紙というものが商売として成り立つに至った背景として、ガス灯の普及もその一因であるという説明にハッとしました。そういえばそうだ。明かりがあるから模様が映えるんだ。そしてその明かりの質によって(つまり蝋燭の火かガス灯か蛍光灯かによって)映える壁紙が違うはずだ。『陰影礼讃』で障子越しの明るさが論じられていたように、蝋燭の炎に照らされる壁と、ガス灯に照らされる壁、そして現代のように蛍光灯で照らされる壁の見え方は違うでしょう。日の光がさんさんと降り注ぐ部屋と、北向きの部屋では似合う壁紙が違うはずだ。そもそも適している紙の材質すら異なるはずだ。そして視点を広げると、当時も英国本土と植民地の東南アジアとかでは、同じ壁紙を使っても同じような見栄えにはならなかったはずだ。壁紙文化はどういう風に広まっていたのかも気になるところです。またモリスのデザインで、自然光にさらされることを前提としたカーテンというのが飾られていたのも興味深かったです。そういう経年劣化を見越したデザインができるというの、良いなぁ。
しかし私には室内をガス灯の明かりで照らすとどんなふうになるのか、正確にイメージできないのでした…

インテリアの企画ということもあり、女性率の非常に高い展覧会でした。6/2まで。