好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

アガサ・クリスティー『スタイルズ荘の怪事件』を読みました。

父親から譲り受けた本の一冊。かのアガサ・クリスティーの第一作です。
私のミステリ全盛期は中学・高校時代で、講談社ノベルスを好んで読んでいました。基本的に国内ミステリを読んでいて、海外のもたまには読みましたが、有栖川有栖の影響でエラリイ・クイーンが好きだったので、クリスティって実はほとんど読んでいないのです。
それでもクリスティと言えばエルキュール・ポアロミス・マープルという二大探偵がいることは知っています。親がよくBSでドラマ版を観ていたので、それぞれのテーマソングを口ずさむこともできます。今回『スタイルズ荘の怪事件』を読んで、ポアロのビジュアルはままさにデヴィット・スーシェの姿と熊倉一雄の声で脳内再現されました。

これまでなじみの薄かったクリスティですが、この頃ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』も出たことですし、都合の良いことに手元にあるし、ちょうどいいからと読み始めて思い出したことがひとつ。『スタイルズ荘の怪事件』、ポアロシリーズの第一作かつクリスティの処女作ということでこれまで何度か読もうとはしたのです。ただ、読まなかった理由が、訳文が好きじゃなかったからなのでした。正確には、小説冒頭の数ページの日本語に強烈な違和感を覚えたからです。

<スタイルズ事件>として有名になった、あの出来事が、世間にまきおこした興奮は、いまはもう、どうやら影をひそめてしまったらしい。だが、この事件にともなう世界的な悪名の高さから見て、友人のポアロや当の一族の人々からも、この事件の全貌を書きとめておいてくれるようにと、私は頼まれていたのだ。まあ、そうしておけば、いまだうるさく流れている、あの無責任な噂話を封じてしまうのにも効果があると、私たちは確信している。(7P )

最初に読んだとき、しつこいくらいの読点が読みにくくてたまりませんでした。今回読み始めた時、この読点だけで、図書館でパラパラめくってまた棚に戻すという行為を何度も繰り返したことを思い出しました。当時はこの作品のみならず、翻訳全般に懐疑的でしたが、それにしたってこの最初の1ページはどうにも…。
しかし今回ぐっと我慢して読み進めていくと、途中から気にならなくなっていたのでした。読み終わった今、中盤あたりの文章を読み返すと、確かに違和感を感じない。どうやら過剰な読点は、冒頭部分のみのようで、そのあとは流れるように読み進めることができました。何なのでしょうね…不思議だ。

しかしストーリーも謎解き経緯も王道の良さがあり、楽しめました。歳の離れた男性と再婚したばかりの富豪の老婦人が毒殺されるのですが、毒はどこに仕込まれていたのか?誰が仕込んだのか?誰にその機会があったのか?ポアロはどうやってそれを調べていくのか?
富豪の老婦人、皆から嫌われている老婦人の夫、金に困っている息子、陰のある美人である嫁、薬局に勤める女性、時折屋敷に現れる怪しげな男…。役者は揃い、事件が起きる。颯爽と現れる探偵、日常的な会話でさりげなく行われる情報収集。うーん、ミステリの醍醐味ですね。

表紙の絵は、老婦人が殺された寝室の見取り図です。ストーリーの途中で屋敷の部屋の配置も示されたりして、おおお本格ミステリ!とちょっと嬉しくなる。屋敷の見取り図は基本ですよね!手紙が挿絵のように挿入されているのもいい感じですね!ミステリ感が高まります。

ちなみにミステリというのは後の時代のほうが不利なのは当然で、そのネタはもう誰々がやっている、という事態が出やすいものです(テクノロジーの進歩がバリエーションを増やしてくれてはいますが)。本当に謎解きだけが目当てなら単純なパズルだけでも良いはずです。しかしそうではなく「探偵小説」という形態をとっている以上、事件の背景や結末までの過程で読者をもてなすことが良いミステリの条件と言えましょう。ネタだけが大事なのではなく、探偵の魅力や謎解き場面の演出も同じくらい大切なのです。関係者各位が一堂に会するなか、「犯人はお前だ!」の瞬間のカタルシス!劇場型万歳、形式美というのはあるものです。

そういう意味でも本作は話の運びも楽しめる、古き良きミステリ作品でした。