好物日記

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文楽「妹背山婦女庭訓」を観てきました

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東京の国立劇場で公演されている「妹背山婦女庭訓」を途中まで観てきました。国立文楽劇場開場35周年記念の通し狂言、つまり最初から最後まで全部やるよ!という企画なのですが、一日座りっぱなしはしんどいので途中まで(第一部だけ)の鑑賞です。普段の公演は通しではなくて一部の場面を切り取って演じられることが多いので、通しで観られるチャンスはなかなか無さそうではあるのですが、それでもやっぱり朝10時半から夜9時まではきつい…第一部にしたのは豊竹咲太夫&鶴澤燕三コンビが出るからなのですが、考えることは皆同じで満席でした。
第一部だけでも10時半から15時までで、途中25分の休憩が1回と10分の休憩が1回入るとはいえ、座りっぱなしはしんどかったです。でも面白かった!

文楽はちょくちょく見ますが、奈良王朝ものは初めてです。蘇我入鹿VS天智天皇中臣鎌足あたりの史実が題材の時代劇で、第一部は第三段目の頭、太宰館の段まで。題材は史実ですがフィクションなのでいろいろと脚色はあります。18世紀の作品なので、当時の社会のバイアスもかかっているはず。
ざっくりとストーリーを追いましょう。天智天皇が病に侵され目が見えなくなり、これ幸いと権勢を振るい帝位を簒奪しようと暗躍する蘇我蝦夷中臣鎌足を冤罪で失脚させ、さぁ俺の時代だというそのとき、父の素行を苦にして仏道に励んでいたはずの蘇我入鹿がラスボスとして君臨。「あんな生ぬるいやり方じゃダメだ」と三種の神器の一つを盗み出し、父や妻も見殺しにして自らの野望を成就させんと内裏に乗り込みます。一方わずかな忠臣と共に内裏を追われた天智天皇は、とある山中の小さな庵を、ここが内裏と思い込んで生活。忠臣たちの涙ぐましい努力と失脚して追放されていた中臣鎌足の満を持しての復活により、無事に天智天皇の目もみえるようになり、さぁここから巻き返すぞ!というところで第一部は終わりです。

文楽は人形劇なので、だいたい頭をみれば「あ、これが悪人だな」というのが分かります。開幕冒頭から出てくる蘇我蝦夷の悪役っぷりが素晴らしかったですが、息子の蘇我入鹿がさらに輪をかけた悪役っぷりでとても良かった。仏道に励んで籠っていた設定なので、初の登場では髪はぼうぼう、山伏のような恰好でおどろおどろしく現れて、妙な迫力が実に素晴らしかった。ラスボスたるもの貫禄がなくちゃね!エンターテイメントの面白さの肝は悪役にある。

見どころもたっぷり、笑うところも泣かせるところもしっかり入っていて第一部だけでも堪能しました。ストーリーの大筋はいくつかあり、そのうちのひとつに親同士の仲が悪い若い男女が出会って恋をするロミジュリ的展開があるのですが、出会いの場面を描く「小松原の段」がコミカルで笑えます。そして山中の粗末な庵で身分を隠して潜伏する忠臣(バリバリの貴族様)の浮世離れっぷりを描く「掛乞の段」もギャグパート。お約束のようなジョークですが、鉄板ですね。コミックオペラのようだ。
さらに天皇が庵にいながら管弦を所望する「万斉の段」も見どころとして外せません。天皇に余計な心配をかけまいと、ここは内裏だと信じ続けてほしい忠臣たちは苦肉の策で小鼓をバックに万歳を踊るというものなのですが、文楽は人形劇なので、お人形さんが躍るのです。お扇子を閉じたり開いたりして踊るのが可愛い。

泣かせるパートは豊竹咲太夫&鶴澤燕三コンビの「芝六忠義の段」です。物語のクライマックスである切場と呼ばれる場面で、現在唯一の「切場語り」である豊竹咲太夫が語ってくれるなら、それはみんな聞きたいので満席になる道理。過去に粗相をして官職を解かれた芝六が自らの忠義を証明しようとしたり、養子の子が父に代わって自首したりする場面なのですが、子供のいじらしさで迫ってくるので涙ぐんでしまう。冷静に考えればお父さんちょっと待ちいや、という感じの強引なストーリーではあるものの、上手いのでついぐっときてしまうのです。「せめてあれ一人は狩人さしてくださるな」…!そして一番かわいそうなお母さんの嘆きぶりが胸にきます。三味線も良かった…


というわけで第一部だけの鑑賞でしたが非常に満足でした。次の文楽、東京公演は9月らしいので、また行くつもりです。