好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

高橋保行『ギリシャ正教』 を読みました

 

ギリシャ正教 (講談社学術文庫)

ギリシャ正教 (講談社学術文庫)

 

読書会にて、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』が課題図書になり、せっせと再読しています。
しかしロシアの正教の知識がないと理解が追いつかない部分が多々あるので、ロシア史、キリスト教史含めて、並行して関連本を読み漁っています。本書はそんな中の一冊として読みました。

1980年刊行の本なので情報が若干古めではありますが(当時はまだソ連だったり)、儀式の方法や信者の精神に変わりはないと思うので、問題ないと思います。歴史や慣習、思想などバランスよくまとまっていて、非常に参考になりました。

著者自身が正教の信者さんだそうなので、実際に信仰の中に身を置く人の言葉なので説得力がある。私たちはこのように信仰しているんです、というのが具体的なので分かりやすいです。私自身はカトリックの学校に通ったりプロテスタントの幼稚園に通ったりしていたので、それらの儀式の方法や教義については馴染みがあります。しかし正教は未知の世界すぎて「どう違うか」の分かりやすい部分を求めて読み始めたのですが、なんていうか、反省しました。ちょっと安易に解を求めすぎていた。そんな単純なものではないですよね…元はといえば同じ神を信仰しているんですもんね。暮らしている土地の風土とか、キリスト教に出会うまでの暮らし方とか、約2000年間の歴史の違いとか、外敵の種類とか、そういったものの互いの相違点が積もり積もっていくうちに、違う方法で信仰を守らざるを得ないようになったのかな。

とはいえカトリックと正教でわかりやすい違いもあります。例えば十字の切り方。カトリックでは額→胸→左肩→右肩ですが、正教では額→胸→右肩→左肩。そのうえ親指、人差し指、中指をくっつけて、薬指、小指は折り曲げる約束だそうです。順序が違うというのはちらっと聞いたことがあったのですが、指の折り方に決まりがあるとは知りませんでした。

正教独自の部分というのは他にも原罪のとらえ方とか儀式で使われる言葉の違いとかいろいろあるっちゃあるのですが、信仰っていうのは生き方なのだな、というのが全体的な印象です。私個人は信仰を持たない人間ですが、宗教というのは万人にいずれ来たる死に対して、どのような態度をとるかの表明で、態度にバリエーションはあるものの目的に対して変わりはないと思っています。ギリシャ正教は、キリストという大いなるお手本を目指して「いかに善く生きるか」を追求している印象。著者も言うように、ギリシャ哲学をマージしている感じがします。

ロシアや正教の本を何冊も読んで、ようやく一端に触れた気がします。しかし著者自身が本書で書いている通り、ギリシャ正教はきっと体験で触れる宗教なので、頭でぼんやりイメージできても神髄に触れたとはとても言えないのでしょう。

やはり一度礼拝に出てみたいなぁ。